103年7月 遼東_楊翼中大夫率いる河上_廖軍からの、 予想外の兵力による侵攻に際し、野戦をあきらめ、国境である宛城に立て籠もる。
103年7月 度重なる河上_廖軍の猛攻から 宛城を守り抜き、 ついに撤退に追い込む。
103年7月 宛城において、そのまま国境の守備にあたるよう命じられる。
103年11月 絳の戦いにおいて、南郡_將軍軍と対戦。 右翼騎を担い、敵本隊への突撃等、活躍し勝利。 敵侵攻軍を撃退。
104年4月 南郡_將軍翹公率いる南郡_將軍軍からの、 予想外の兵力による侵攻に際し、野戦をあきらめ、国境である野王城に立て籠もる。
104年4月 度重なる南郡_將軍軍の猛攻から 野王城を守り抜き、 ついに撤退に追い込む。
104年4月 野王城において、そのまま国境の守備にあたるよう命じられる。
104年5月 臨晋の戦いにおいて、武キ_懸潘軍と対戦。
104年9月 呉郡_王竒上士指揮のもと武キ_懸潘国函谷関城攻略戦に参加。
105年1月 第2次函谷関の戦いにおいて、武キ_懸潘軍と対戦。 右翼を担い奮戦するが、敗戦。 武キ_懸潘領侵攻作戦は失敗に終わり、撤退を余儀なくさせられる。
105年4月 第3次函谷関の戦いにおいて、武キ_懸潘軍と対戦。 陣頭に立つ乱戦の中、敵将鉅野_魯樹上士に討ち取られる。 味方部隊も敗北を喫する。
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