経歴
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267年2月 沮陽_王耳の嫡子として元服し新鄭_華朝咸陽帝国軍士を拝命。
268年1月 庸の地を拠点とする方面軍は新たに新鄭_華孔上大夫が司令官に。
268年9月 国内の新鄭_華韋に今後とも協力して関係にあたることを誓う。
275年2月 庸の地を拠点とする方面軍は新たに新鄭_華茲下大夫が司令官に。
282年12月 君主新鄭_華重耳逝去。 以後次男である新鄭_華韋の継承権争いに力を貸す。 この時31歳。
283年4月 第16次建為の戦いにおいて、新鄭_華軍と対戦。 左翼を担い、敵本隊への突撃等、活躍し勝利。 侵攻作戦は成功。 新鄭_華領建為を制圧。
283年5月 南鄭の地を拠点とする、大陵_冶寵下大夫揮下の北東部方面軍に配属。
283年6月 国内の京茲_婁赫と今後とも協力関係を築いていこうと誓う。
283年7月 南鄭の地の方面軍を解任、首都に戻る。
283年8月 巴西の戦いにおいて、新鄭_華軍と対戦。 右翼を担い、敵の退路を絶つ等、活躍し、勝利。 侵攻作戦は成功。 新鄭_華領巴を制圧。
283年10月 賛同する京茲_婁赫士のはからいにより、 南鄭の地を拠点とする大陵_冶寵下大夫揮下、 北東部方面軍に配属が決まる。
285年2月 巴山の攻防戦において、新鄭_華軍と対戦。 父に随軍する形で左翼騎を担い、敵の攻撃で自己の部隊は崩壊したものの、 味方の助けもあり戦力差で優る敵に、みごと勝利。 敵侵攻軍を撃退。 自身は乱戦の中、戦死。 享年 34歳。
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