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京茲_婁弘
思想 野心 人望 智力 武力 名声
67 26 60 58 43 32

経歴

290年7月
 亡き父、京茲_婁赫の遺志をつごうと、楚丘_豊軍に仕官する。
  彼が 17歳の時であった。
   


291年2月
 庸東の戦いにおいて、新鄭_華軍と対戦。
  右翼騎を担い、敵の退路を絶つ等、活躍し、勝利。
   敵侵攻軍を撃退。
    功績により上士に昇進。
     


294年3月
 庸山の攻防戦において、新鄭_華軍と対戦。
  右翼騎を担い、一時は敵の退路を絶つなど奮戦するが、敗戦。
   自身は乱戦の中、少数の部下と共に戦場を離脱。
    功績により下大夫に昇進。
     


294年3月
 新鄭_華俶王指揮の新鄭_華朝曲沃帝国軍に城を包囲される。
  


294年3月
 新鄭_華朝曲沃帝国軍の猛攻を防ぎきれず、城は落城する。
  


294年3月
 君主死亡。
  仕える国を無くし放浪する。
   


297年1月
 在野にて、諸国を彷徨っていた後、新鄭_華軍に仕官する。
  彼が 25歳の時であった。
   


297年6月
 蜀平原の攻防戦において、新鄭_華軍援軍として新鄭_華軍と対戦。
  後衛を担い、敵本隊への突撃等、活躍し勝利。
   侵攻作戦は成功。
    新鄭_華領を制圧。
     


297年9月
 蜀平原の戦いにおいて、新鄭_華軍援軍として新鄭_華軍と対戦。
  後衛を担い、一時は敵の退路を絶つなど奮戦するが、敗戦。
   新鄭_華領侵攻作戦は失敗に終わり、撤退を余儀なくさせられる。
    


298年9月
 蜀北の攻防戦において、新鄭_華軍援軍として新鄭_華軍と対戦。
  後衛を担い、勝利。
   侵攻作戦は成功。
    新鄭_華領を制圧。
     


298年10月
 南鄭の地を拠点とする、新鄭_牛衆上大夫揮下の南西部方面軍に配属。
  


299年12月
 広漢の戦いにおいて、新鄭_華軍と対戦。
  後衛騎を担い奮戦するが、敗戦。
   新鄭_華領侵攻作戦は失敗に終わり、撤退を余儀なくさせられる。
    


300年3月
 第2次広漢の戦いにおいて、新鄭_華軍と対戦。
  左翼騎を担い、一時は敵の退路を絶つなど奮戦するが、敗戦。
   新鄭_華領侵攻作戦は失敗に終わり、撤退を余儀なくさせられる。
    


300年7月
 国内の新鄭_華信臣に今後とも協力して関係にあたることを誓う。
  


300年9月
 第10次蜀の戦いにおいて、新鄭_華軍と対戦。
  前衛騎を担い、いくつかの敵部隊を粉砕し活躍、勝利。
   侵攻作戦は成功。
    新鄭_華領を制圧。
     


300年9月
 新鄭_華俶王指揮のもと新鄭_華国城攻略戦に参加。
  


300年9月
 留守の城を懸念し長期戦は避け、城攻略は断念。
  兵を退く。
   


301年3月
 第11次蜀の戦いにおいて、新鄭_華軍と対戦。
  左翼騎を担い奮戦するが、大軍を活かせず、まさかの敗戦。
   新鄭_華領侵攻作戦は失敗に終わり、撤退を余儀なくさせられる。
    最後尾で殿を努める。
     


301年6月
 第12次蜀の戦いにおいて、新鄭_華軍と対戦。
  右翼騎を担い、敵の退路を絶つ等、活躍し、勝利。
   侵攻作戦は成功。
    新鄭_華領を制圧。
     


301年6月
 新鄭_華俶王指揮のもと新鄭_華国城攻略戦に参加。
  


301年9月
 留守の城を懸念し長期戦は避け、城攻略は断念。
  兵を退く。
   


302年12月
 の地を拠点とする方面軍に配属が決まる。
  


307年5月
 国内の梁丘_華陵と今後とも協力関係を築いていこうと誓う。
  


314年5月
 賛同する新鄭_華信臣中大夫のはからいにより、
  南鄭の地を拠点とする新鄭_牛衆上大夫揮下、
   南西部方面軍に配属が決まる。
    


315年5月
 君主新鄭_華俶逝去。
  以後長男である新鄭_華閼の継承権争いに力を貸す。
   この時43歳。
    


315年6月
 第2次櫟の戦いにおいて、新鄭_華軍と対戦。
  左翼騎を担い、敵側面への攻撃等、活躍し勝利。
   侵攻作戦は成功。
    新鄭_華領を制圧。
     


315年8月
 櫟邑の地を拠点とする、新鄭_華宇中大夫揮下の東部方面軍に配属。
  


317年1月
 息子の京茲_婁南が元服し新鄭_華朝咸陽帝国軍士を拝命。
  


317年4月
 国内の新鄭_牛儀に今後とも協力して関係にあたることを誓う。
  


332年5月
 この月の人事で、新鄭_華国、文官として処務にあたる任を司る。
  


332年6月
 新鄭_牛孔宰相の指示によって、地元の支持を得るべく雲中の地への赴任が決まる。
  


332年6月
 雲中の地で飢えに苦しむ人々や荒んだ状況を目の当たりにする。
  


332年12月
 住民支持向上の一定の成果は上げ雲中の地をあとにする。
  


332年12月
 文官としての功績が評価され、上士に昇進。
  


333年9月
 地元の経済の向上を目指しの地への赴任が決まる


333年11月
 経済状況改善の成果をかろうじて上げ、の地をあとにする。
  


334年8月
 新鄭_牛孔宰相の指示によって、地元の支持を得るべくの地への赴任が決まる。
  


334年8月
 の地で飢えに苦しむ人々や荒んだ状況を目の当たりにする。
  


335年2月
 住民支持向上の一定の成果は上げの地をあとにする。
  


335年2月
 文官としての功績が評価され、下大夫に昇進。
  


335年11月
 新鄭_牛孔宰相の指示によって、地元の支持を得るべく九原の地への赴任が決まる。
  


335年11月
 九原の地で飢えに苦しむ人々や荒んだ状況を目の当たりにする。
  


336年5月
 才より努力を持って、住民支持向上のまずまずの成果は上げ、
  九原の地をあとにする。
   


336年6月
 咸陽城において病に伏せ逝去。
  享年 64歳。
   



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