100年1月 当時 38歳、新城_公子貔に邑宰として仕える。 主君の友人であったと言われる。
104年3月 能力が認められ邑宰に推薦を受けるが、野心無く断る。
104年4月 汝南_鄭援卿指揮の象郡_賀軍に臨鯔城を包囲される。
104年7月 度重なる象郡_賀軍の猛攻から 臨鯔城を守り抜き、 ついに撤退に追い込む。
105年3月 臨海_馬寓卿指揮の象郡_賀軍に臨鯔城を包囲される。
105年3月 象郡_賀軍の猛攻を防ぎきれず、臨鯔城は落城する。
105年3月 君主新城_公子貔死亡。 仕える国を無くし放浪する。
107年12月 陳留_盂祕の支配する広陵の地を訪れる。 この地の知者との話などから河上_廖軍の人物関係をそれとなく理解する。
108年1月 在野にて、諸国を彷徨っていた後、彭城_左史軍に仕官する。 彼が 47歳の時であった。
108年5月 上谷_滕晞卿指揮の河上_廖軍に南皮城を包囲される。
108年5月 度重なる河上_廖軍の猛攻から 南皮城を守り抜き、 ついに撤退に追い込む。
109年4月 廣平_梁全上大夫指揮の河上_廖軍に南皮城を包囲される。
109年4月 度重なる河上_廖軍の猛攻から 南皮城を守り抜き、 ついに撤退に追い込む。
109年4月 彭城_左史褒公の推薦により、文官の任に就くことが決まる。
109年6月 新たな人事編成により、文官の任を解かれ、前線の武官としての活躍を期待される。
109年7月 彭城_左史褒公の推薦により、文官の任に就くことが決まる。
109年8月 新たな人事編成により、文官の任を解かれ、前線の武官としての活躍を期待される。
110年1月 上谷_滕晞卿指揮の河上_廖軍に南皮城を包囲される。
110年1月 度重なる河上_廖軍の猛攻から 南皮城を守り抜き、 ついに撤退に追い込む。
110年7月 中山_學舎卿指揮の河上_廖軍に南皮城を包囲される。
110年7月 度重なる河上_廖軍の猛攻から 南皮城を守り抜き、 ついに撤退に追い込む。
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