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南海_李彰
思想 野心 人望 智力 武力 名声
-67 77 38 29 21 56
運と家督で地位を築く。

経歴    享年 40歳 < 108〜 148 >

145年1月
 当時 37歳、江夏_頓則に下大夫として仕える。
  奸臣であったと言われる。
   


145年3月
 代郡_丁楷下大夫指揮のもと東陽_杜国蒲吾城攻略戦に参加。
  


145年3月
 蒲吾城を包囲戦の末、陥落させる。
  


145年6月
 江夏_頓則公の推薦により、文官の任に就くことが決まる。
  


145年9月
 江夏_頓則公の指示によって、地元の支持を得るべく平阿の地への赴任が決まる。
  


145年12月
 君主江夏_頓則の訃報を知らされ、急遽任地を後にし、
  首邑に戻る。
   


146年1月
 江夏_頓武公の指示によって、地元の支持を得るべく平樂の地への赴任が決まる。
  


146年8月
 住民支持向上のそれなりの成果は上げ、平樂の地をあとにする。
  


146年10月
 江夏_頓武公の指示によって、地元の支持を得るべく平樂の地への赴任が決まる。
  


147年4月
 息子の南海_李茂が元服し江夏_頓軍上士を拝命。
  


147年5月
 住民支持向上の成果をかろうじて上げ、平樂の地をあとにする。
  


147年6月
 新たな人事編成により、文官の任を解かれ、前線の武官としての活躍を期待される。
  


147年10月
 祝其の戦いにおいて、東海_召軍と対戦。
  


148年2月
 梁郡_格国楡次城攻略戦に着手。
  


148年2月
 度重なる強行突破の失敗で、多大な犠牲者を出し、楡次城攻略は断念。
  兵を退く。
   


148年6月
 第2次春穀の戦いにおいて、隴西_樊軍と対戦。
  前衛を担い、一時は敵の退路を絶つなど奮戦するが、敗戦。
   隴西_樊領侵攻作戦は失敗に終わり、撤退を余儀なくさせられる。
    


148年7月
 平棘の戦いにおいて、東陽_杜軍と対戦。
  陣頭に立つ、一時は敵の退路を絶つなど奮戦するが、敗戦。
   平棘地区は放棄、撤退を余儀なくさせられる。
    自身は乱戦の中、少数の部下と共に戦場を離脱。
     


148年7月
 江夏_頓武公の推薦により、文官の任に就くことが決まる。
  


148年8月
 新たな人事編成により、文官の任を解かれ、前線の武官としての活躍を期待される。
  


148年9月
 楡次の戦いにおいて、隴西_樊軍と対戦。
  陣頭に立つ、敵本隊への突撃等、奮戦するが、敗戦。
   楡次地区は放棄、撤退を余儀なくさせられる。
    捕虜となり処刑。
     享年 40歳。
      


好意を持つ武将

無し



好意を持たれている武将


無し



敵視している武将


無し



敵視されている武将


無し