145年6月 江夏_頓則の養子に迎えられ江夏_頓軍下大夫を拝命。
145年6月 江夏_頓則公の推薦により、文官の任に就くことが決まる。
145年7月 新たな人事編成により、文官の任を解かれ、前線の武官としての活躍を期待される。
145年8月 息子の江夏_頓越が元服し江夏_頓軍上士を拝命。
145年9月 蒲吾の戦いにおいて、東陽_杜軍と対戦。 左翼を担い奮戦するが、大軍を活かせず、まさかの敗戦。
145年12月 君主江夏_頓則逝去。 後継者として国を司る。 この時45歳。
146年10月 5代王河内_李純の勅命である、東陽_杜勝公討つべしの檄文に従う。
147年2月 梁郡_格国楡次城攻略戦に着手。
147年2月 度重なる強行突破の失敗で、多大な犠牲者を出し、楡次城攻略は断念。 兵を退く。
148年6月 第2次春穀の戦いにおいて、隴西_樊軍と対戦。 陣頭に立つ、一時は敵の退路を絶つなど奮戦するが、敗戦。 隴西_樊領侵攻作戦は失敗に終わり、撤退を余儀なくさせられる。
148年10月 拠点を 端氏から支配地全域の要衝となる武功に移転する。
149年3月 上谷_程嘉下大夫指揮の隴西_樊軍に武功城を包囲される。
149年3月 度重なる隴西_樊軍の猛攻から 武功城を守り抜き、 ついに撤退に追い込む。
149年9月 隴西_秦匡士指揮の隴西_樊軍に武功城を包囲される。
149年9月 度重なる隴西_樊軍の猛攻から 武功城を守り抜き、 ついに撤退に追い込む。
152年5月 武功城において病に伏せ逝去。 享年 52歳。
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