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濟北_大戊魴
思想 野心 人望 智力 武力 名声
-43 79 37 28 81 46
武芸に優れた将。粗暴な振る舞いも多く警戒されている。

経歴    享年 31歳 < 79〜 109 >

100年1月
 当時 21歳、廬江_甫爽矩に士として仕える。
  適材適所の配属であったと言われる。
   


100年2月
 新野_堪囘卿の推薦により、文官の任に就くことが決まる。
  


100年3月
 新野_堪囘卿の指示によって、地元の経済の向上を目指し櫟城の地への赴任が決まる。
  


100年11月
 経済状況改善のそれなりの成果は上げ、櫟城の地をあとにする。
  


101年1月
 新野_堪囘卿の指示によって、地元の経済の向上を目指し櫟城の地への赴任が決まる。
  


101年9月
 経済状況改善の成果をかろうじて上げ、櫟城の地をあとにする。
  


101年11月
 新野_堪囘卿の指示によって、地元の支持を得るべく臨晋の地への赴任が決まる。
  


101年11月
 臨晋の地で飢えに苦しむ人々や荒んだ状況を目の当たりにする。
  


102年2月
 その人脈を持って、魏郡_將軍攸邑宰の叛乱計画を知り、
  城門を強行突破し帰路につく。
   


102年2月
 新たな人事編成により、文官の任を解かれ、前線の武官としての活躍を期待される。
  


102年8月
 新野_堪囘卿指揮のもと漢中_輔国韓原城攻略戦に参加。
  


102年8月
 虞城西の戦いにおいて、漢中_輔軍と対戦。
  参謀として全軍を指揮する、一時は敵の退路を絶つなど奮戦するが、
   敗戦。
    漢中_輔領侵攻作戦は失敗に終わり、撤退を余儀なくさせられる。
     


102年9月
 君主廬江_甫爽矩死亡。
  特に協力者もいなかったため、悩んだ末、武キ_懸潘胤に従うことを決める。
   


104年5月
 臨晋の戦いにおいて、漢中_輔軍と対戦。
  右翼騎を担い、勝利。
   侵攻作戦は成功。
    漢中_輔領臨晋を制圧。
     


104年8月
 汝南_張盤下大夫率いる漢中_輔軍からの、
  予想外の兵力による侵攻に際し、野戦をあきらめ、国境である臨晋城に立て籠もる。
   


104年8月
 度重なる漢中_輔軍の猛攻から 臨晋城を守り抜き、
  ついに撤退に追い込む。
   


104年8月
 臨晋城において、そのまま国境の守備にあたるよう命じられる。


105年1月
 第2次函谷関の戦いにおいて、城包囲に突破口を開くべく漢中_輔軍と対戦。
  右翼騎を担い、敵側面への攻撃等、活躍し勝利。
   敵侵攻軍を撃退。
    


105年2月
 高密の戦いにおいて、城包囲に突破口を開くべく陳留_盂軍と対戦。
  左翼騎を担い、勝利。
   敵侵攻軍を撃退。
    


105年3月
 漢中_輔基公率いる漢中_輔軍からの、予想外の兵力による侵攻に際し、
  野戦をあきらめ、国境である臨晋城に立て籠もる。
   


105年3月
 度重なる漢中_輔軍の猛攻から 臨晋城を守り抜き、
  ついに撤退に追い込む。
   


105年3月
 臨晋城において、そのまま国境の守備にあたるよう命じられる。


105年9月
 第2次臨晋の戦いにおいて、漢中_輔軍と対戦。
  左翼騎を担い、敵本隊への突撃等、活躍し勝利。
   敵侵攻軍を撃退。
    


105年11月
 陝城の戦いにおいて、汝南_張軍と対戦。
  右翼を担い、一時は敵の退路を絶つなど奮戦するが、敗戦。
   汝南_張領侵攻作戦は失敗に終わり、撤退を余儀なくさせられる。
    


106年2月
 梓潼_韓純士指揮のもと汝南_張国城攻略戦に参加。
  


106年2月
 度重なる強行突破の失敗で、多大な犠牲者を出し、城攻略は断念。
  兵を退く。
   


106年6月
 鉅野_魯樹中大夫指揮のもと汝南_張国韓原城攻略戦に参加。
  


106年10月
 少梁の戦いにおいて、汝南_張軍と対戦。
  右翼騎を担い奮戦するが、敗戦。
   汝南_張領侵攻作戦は失敗に終わり、撤退を余儀なくさせられる。
    


106年11月
 義陽_魏統士率いる汝南_張軍からの、
  予想外の兵力による侵攻に際し、野戦をあきらめ、国境である臨晋城に立て籠もる。
   


106年11月
 度重なる汝南_張軍の猛攻から 臨晋城を守り抜き、
  ついに撤退に追い込む。
   


106年11月
 臨晋城において、そのまま国境の守備にあたるよう命じられる。


107年5月
 鉅鹿_梁岳中大夫率いる河上_廖軍からの、
  予想外の兵力による侵攻に際し、野戦をあきらめ、国境である臨晋城に立て籠もる。
   


107年5月
 度重なる河上_廖軍の猛攻から 臨晋城を守り抜き、
  ついに撤退に追い込む。
   


107年5月
 臨晋城において、そのまま国境の守備にあたるよう命じられる。


107年8月
 第4次函谷関の戦いにおいて、城包囲に突破口を開くべく河上_廖軍と対戦。
  左翼騎を担い、敵側面への攻撃等、活躍し勝利。
   敵侵攻軍を撃退。
    


108年2月
 淮陽_陰參卿率いる河上_廖軍からの、
  予想外の兵力による侵攻に際し、野戦をあきらめ、国境である臨晋城に立て籠もる。
   


108年2月
 度重なる河上_廖軍の猛攻から 臨晋城を守り抜き、
  ついに撤退に追い込む。
   


108年2月
 臨晋城において、そのまま国境の守備にあたるよう命じられる。


108年11月
 東安_雙眞士率いる河上_廖軍からの、
  予想外の兵力による侵攻に際し、野戦をあきらめ、国境である臨晋城に立て籠もる。
   


108年11月
 度重なる河上_廖軍の猛攻から 臨晋城を守り抜き、
  ついに撤退に追い込む。
   


108年11月
 臨晋城において、そのまま国境の守備にあたるよう命じられる。


108年12月
 第5次函谷関の戦いにおいて、城包囲に突破口を開くべく河上_廖軍と対戦。
  左翼騎を担い奮戦するが、大軍を活かせず、まさかの敗戦。
   


109年2月
 国内の武キ_懸潘弘に今後とも協力して関係にあたることを誓う。
  


109年3月
 息子の濟北_大戊祥が元服し河上_廖軍士を拝命。
  


109年7月
 虞城の戦いにおいて、廣陵_張軍と対戦。
  前衛を担い、敵本隊への突撃等、活躍し勝利。
   敵侵攻軍を撃退。
    自身は乱戦の中、戦死。
     享年 31歳。
      


好意を持つ武将

無し



好意を持たれている武将


鉅野_魯樹 現在 37歳 鉅野_魯国 公
  迎撃軍戦友
梓潼_韓純 現在 35歳 鉅野_魯国 上士
  侵攻軍戦友
武キ_懸潘弘 現在 20歳 鉅野_魯国 中大夫
  親の影響


敵視している武将


無し



敵視されている武将


新野_堪囘 現在 34歳 河上_廖国 卿
  
珠崖_魏雅 現在 49歳 河上_廖国 士
  迎撃軍敗戦による敵意 敵将