111年1月
河上_廖艷当時配下武将
廣陵_張咸当時配下武将
汝南_鄭援当時配下武将
梁郡_葉雍当時配下武将
臨海_馬謙当時配下武将
鉅野_魯樹当時配下武将
彭城_左史褒当時配下武将
代郡_慶忌招当時配下武将


◆ 河上_廖国において 興古_斯遂 という人物が仕官を求め、それが認められる。

◆ この月、河上_廖軍が彭城_左史軍領南皮に侵攻開始。

密偵により、河上_廖軍来襲の情報を掴んでいた、彭城_左史軍は城を出て迎撃することを決めた。

数日後、両軍は 南皮の地で互いを捕捉する。

河上_廖軍は、相手が予想を超える大軍を集結させている事に気づき、直接対決を避け撤退した。

河上_廖軍の侵攻作戦は失敗に終わり、むなしく本土へと撤退していった。



◆ この月、河上_廖軍が汝南_鄭軍領薊に侵攻開始。

密偵により、河上_廖軍来襲の情報を掴んでいた、汝南_鄭軍は城を出て迎撃することを決めた。

数日後、両軍は 薊の地で互いを捕捉する。

河上_廖軍は、相手が予想を超える大軍を集結させている事に気づき、直接対決を避け撤退した。

河上_廖軍の侵攻作戦は失敗に終わり、むなしく本土へと撤退していった。



◆ この月、廣陵_張軍が河上_廖軍領宛に侵攻開始。

密偵により、廣陵_張軍来襲の情報を掴んでいた、河上_廖軍は、すでに宛の地に向かっていた。

数日後、両軍は 宛の地で互いを捕捉する。

河上_廖軍は、相手が予想を超える大軍を集結させている事に気づき、直接対決を避け撤退した。

野戦をあきらめた、河上_廖軍は宛城に立て篭もった。

廣陵_張林中大夫率いる、廣陵_張軍は、繰り返し城内への突入を試みた。

しかし、全て 隴西_季老混宰相率いる城兵に撃退され、宛城は持ちこたえる。



◆ この月、廣陵_張軍が河上_廖軍領陽擢に侵攻開始。

野戦をあきらめた、河上_廖軍は陽擢城に立て篭もった。

廣陵_張混卿率いる、廣陵_張軍は、繰り返し城内への突入を試みた。

しかし、全て 清河_田欽邑宰率いる城兵に撃退され、陽擢城は持ちこたえる。



結局、廣陵_張軍の攻撃はことごとく失敗し、攻略指揮官である 廣陵_張混卿は陽擢城攻略を断念。全軍に撤退を命じた。

陽擢城は清河_田欽邑宰の健闘により守り抜かれた。



◆ 臨海_馬国の臨海_馬謙公は、領土拡大のため、河上_廖国に宣戦を布告する。高唐へ侵攻開始。

◆ この月、臨海_馬軍が河上_廖軍領高唐に侵攻開始。

密偵により、臨海_馬軍来襲の情報を掴んでいた、河上_廖軍は、すでに高唐の地に向かっていた。

数日後、両軍は 高唐の地で互いを捕捉する。

合浦_董登卿揮下、参謀 臨海_馬叡中大夫が指揮する臨海_馬軍 70067人と、河上_廖延卿揮下、参謀 淮陽_陰全下大夫の指揮する河上_廖軍 35898人が激突した 第3次高唐の戦いと呼ばれるこの戦いは、河上_廖軍の勝利に終わった。

臨海_馬軍遼西_大戊郁士は、捕らえられ、処刑された。享年 46歳であった。

この戦いで臨海_馬軍は、遼西_大戊郁、 を失った。

この戦いで河上_廖軍は、汝南_郭綏中大夫、 扶風_何珪士、 潁川_朱慮上士、 を失った。

臨海_馬軍の侵攻作戦は失敗に終わり、むなしく本土へと撤退していった。



◆ この月、河上_廖艷公の再三の熱意ある説得により、河上_廖国と 臨海_馬国は、互いの利害の一致を認め、同盟を締結することを公表する。



◆ 鉅野_魯国の鉅野_魯樹公は、領土拡大のため、廣陵_張国に宣戦を布告する。虞城へ侵攻開始。

◆ この月、鉅野_魯軍が廣陵_張軍領虞城に侵攻開始。

密偵により、鉅野_魯軍来襲の情報を掴んでいた、廣陵_張軍は、すでに虞城の地に向かっていた。

数日後、両軍は 虞城の地で互いを捕捉する。

河東_司徒岐中大夫が指揮する鉅野_魯軍 57101人と、尋陽_勒耀上大夫の指揮する廣陵_張軍 115547人が激突した 第2次虞城の戦いと呼ばれるこの戦いは、鉅野_魯軍の勝利に終わった。

廣陵_張軍鉅鹿_梁岳上士は、捕らえられ、処刑された。享年 32歳であった。

廣陵_張軍珠崖_謝鮑士は、捕らえられ、処刑された。享年 58歳であった。

この戦いで廣陵_張軍は、鉅鹿_梁岳珠崖_謝鮑、 を失った。

鉅野_魯軍の侵攻作戦は成功した。虞城は鉅野_魯の制圧下に置かれた。

この戦いの功績により、廣陵_張軍 濟南_許韜は、中大夫に昇進する。



◆ この月、廣陵_張国廣陵_張咸は、河上_廖国河上_廖艷に対し、数々の恨みから、敵対心を現わにする。

◆ 河上_廖国の 泰山_張紀下大夫が病死 。享年 63歳だった。





111年2月
河上_廖艷当時配下武将
廣陵_張咸当時配下武将
汝南_鄭援当時配下武将
鉅野_魯樹当時配下武将
臨海_馬謙当時配下武将
梁郡_葉雍当時配下武将
彭城_左史褒当時配下武将
代郡_慶忌招当時配下武将


◆ 河上_廖国において 漢中_輔異 という人物が仕官を求め、それが認められる。

◆ 廣陵_張軍による、河上_廖領宛城攻略は包囲開始より、 1ケ月が経とうとしている。

廣陵_張林中大夫率いる、廣陵_張軍は、繰り返し城内への突入を試みた。

しかし、全て 隴西_季老混宰相率いる城兵に撃退され、宛城は持ちこたえる。



結局、廣陵_張軍の攻撃はことごとく失敗し、攻略指揮官である 廣陵_張林中大夫は宛城攻略を断念。全軍に撤退を命じた。

宛城は隴西_季老混宰相の健闘により守り抜かれた。

河上_廖艷公は、隴西_季老混宰相に、その地に駐留するよう命じた。



◆ 河上_廖国は、支配地域の変化に伴ない剣閣の地の方面軍を解散し再編することを決定。

◆ この月、廣陵_張軍が鉅野_魯軍領臨晋に侵攻開始。

野戦をあきらめた、鉅野_魯軍は臨晋城に立て篭もった。

濟北_范超士率いる、廣陵_張軍は、繰り返し城内への突入を試みた。

しかし、全て 鉅野_魯樹公率いる城兵に撃退され、臨晋城は持ちこたえる。



結局、廣陵_張軍の攻撃はことごとく失敗し、攻略指揮官である 濟北_范超士は臨晋城攻略を断念。全軍に撤退を命じた。

臨晋城は鉅野_魯樹公の健闘により守り抜かれた。