100年1月 当時 29歳、清河_張支に邑宰として仕える。 主君から妬まれた将であったと言われる。
103年4月 風洪上士指揮の河上_廖軍に州城を包囲される。
103年5月 君主死亡によって野に下る。 そのころ、大規模に将兵の徴募を募っていた呉郡_董輔に仕官する。 士を拝命。
103年7月 国内の南郡_夏父混と今後とも協力関係を築いていこうと誓う。
104年4月 第3次聊城の戦いにおいて、新城_公子軍と対戦。 右翼を担い、勝利。 侵攻作戦は成功。 新城_公子領聊城を制圧。
104年4月 邯鄲の戦いにおいて、象郡_賀軍と対戦。 前衛を担い、戦力差で優る敵に、みごと勝利。 敵侵攻軍を撃退。
105年3月 息子の東平_師丁が元服し呉郡_董軍士を拝命。
105年5月 第2次邯鄲の戦いにおいて、象郡_賀軍と対戦。 右翼を担い、敵の攻撃で自己の部隊は崩壊したものの、味方の助けもあり勝利。 敵侵攻軍を撃退。 自身は乱戦の中、戦死。 享年 35歳。
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