105年3月 東平_師默の嫡子として元服し呉郡_董軍士を拝命。
105年6月 第4次聊城の戦いにおいて、象郡_賀軍と対戦。 右翼を担い、一時は敵の退路を絶つなど奮戦するが、敗戦。 聊城地区は放棄、撤退を余儀なくさせられる。
106年6月 東平_張統上大夫指揮の南郡_將軍軍に上党城を包囲される。
106年6月 南郡_將軍軍の猛攻を防ぎきれず、上党城は落城する。
106年6月 君主死亡。 仕える国を無くし放浪する。
108年8月 河上_廖艷の支配する上党の地を訪れる。 この地の知者との話などから河上_廖軍の人物関係をそれとなく理解する。
108年9月 廣陵_張咸の支配する曲沃の地を訪れる。 この地の知者との話などから河上_廖軍の人物関係をそれとなく理解する。
108年10月 在野にて、諸国を彷徨っていた後、河上_廖軍に仕官する。 彼が 18歳の時であった。
109年1月 琅邪の地を拠点とする、新野_堪囘卿揮下の北東部方面軍に配属。
110年5月 国内の蜀郡_斯忠に今後とも協力して関係にあたることを誓う。
110年7月 雲中の地を拠点とする方面軍に配属が決まる。
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