100年1月 当時 63歳、陳留_盂祕に卿として仕える。 卿適任であったと言われる。
100年2月 陳留_盂朝彭城帝国宰相の任を受ける。
100年3月 高陽北の攻防戦において、新城_公子軍と対戦。 陣頭に立つ、敵の退路を絶つ等、活躍し、勝利。 敵侵攻軍を撃退。
100年6月 高陽の戦いにおいて、新城_公子軍と対戦。 左翼を担い奮戦するが、敗戦。 高陽地区は放棄、撤退を余儀なくさせられる。
100年12月 新城_公子貔公率いる新城_公子軍からの、 予想外の兵力による侵攻に際し、野戦をあきらめ、国境である雎陽城に立て籠もる。
100年12月 度重なる新城_公子軍の猛攻から 雎陽城を守り抜き、 ついに撤退に追い込む。
100年12月 雎陽城において、そのまま国境の守備にあたるよう命じられる。
101年5月 陳留_盂祕王指揮のもと新城_公子国高密城攻略戦に参加。
101年9月 淮陽_陰參上大夫率いる新城_公子軍からの、 予想外の兵力による侵攻に際し、野戦をあきらめ、国境である琅邪城に立て籠もる。
101年9月 度重なる新城_公子軍の猛攻から 琅邪城を守り抜き、 ついに撤退に追い込む。
101年9月 琅邪城において、そのまま国境の守備にあたるよう命じられる。
102年1月 使者として新城_公子国に赴き両国の同盟を締結させることに成功する。
102年10月 淮陽_張獻を養子に迎える。
103年11月 新城_公子国高陽城攻略戦に着手。
104年4月 上谷_滕晞下大夫率いる河上_廖軍からの、 予想外の兵力による侵攻に際し、野戦をあきらめ、国境である六城に立て籠もる。
104年4月 度重なる河上_廖軍の猛攻から 六城を守り抜き、 ついに撤退に追い込む。
104年4月 六城において、そのまま国境の守備にあたるよう命じられる。
104年5月 六の地を拠点とする方面軍に配属が決定。
104年8月 新城_公子国高陽城攻略戦に着手。
104年9月 陣中で無念の病死。 享年 68歳。
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