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衡陽_李洛
思想 野心 人望 智力 武力 名声
-29 26 56 29 60 43
運と家督で地位を築く。

経歴    享年 59歳 < 48〜 106 >

100年1月
 当時 52歳、廬江_甫爽矩に士として仕える。
  適材適所の配属であったと言われる。
   


100年2月
 新野_堪囘卿の推薦により、文官の任に就くことが決まる。
  


100年8月
 新野_堪囘卿の指示によって、地元の経済の向上を目指し北地の地への赴任が決まる。
  


101年4月
 経済状況改善のそれなりの成果は上げ、北地の地をあとにする。
  


101年6月
 新野_堪囘卿の指示によって、地元の支持を得るべく南鄭の地への赴任が決まる。
  


102年1月
 新たな人事編成により、文官の任を解かれ首都に帰還、
  前線の武官としての活躍を期待される。
   


102年8月
 廬江_甫爽矩公の推薦により、文官の任に就くことが決まる。
  


102年9月
 廬江_甫爽矩公の指示によって、地元の支持を得るべく函谷関の地への赴任が決まる。
  


102年9月
 君主廬江_甫爽矩の訃報を知らされ、急遽任地を後にし、
  首邑に戻る。
   


102年9月
 君主廬江_甫爽矩死亡。
  特に協力者もいなかったため、悩んだ末、武キ_懸潘胤に従うことを決める。
   


103年3月
 新たな人事編成により、文官の任を解かれ、前線の武官としての活躍を期待される。
  


104年5月
 臨晋の戦いにおいて、漢中_輔軍と対戦。
  右翼騎を担い、勝利。
   侵攻作戦は成功。
    漢中_輔領臨晋を制圧。
     


104年8月
 汝南_張盤下大夫率いる漢中_輔軍からの、
  予想外の兵力による侵攻に際し、野戦をあきらめ、国境である臨晋城に立て籠もる。
   


104年8月
 度重なる漢中_輔軍の猛攻から 臨晋城を守り抜き、
  ついに撤退に追い込む。
   


104年8月
 臨晋城において、そのまま国境の守備にあたるよう命じられる。


104年11月
 臨晋の北部方面軍を解任、首邑に戻る。
  


105年1月
 第2次函谷関の戦いにおいて、城包囲に突破口を開くべく漢中_輔軍と対戦。
  右翼騎を担い、敵本隊への突撃等、活躍し勝利。
   敵侵攻軍を撃退。
    


105年3月
 漢中_輔基公率いる漢中_輔軍からの、予想外の兵力による侵攻に際し、
  野戦をあきらめ、国境である臨晋城に立て籠もる。
   


105年3月
 度重なる漢中_輔軍の猛攻から 臨晋城を守り抜き、
  ついに撤退に追い込む。
   


105年3月
 臨晋城において、そのまま国境の守備にあたるよう命じられる。


105年9月
 第2次臨晋の戦いにおいて、漢中_輔軍と対戦。
  左翼騎を担い、敵本隊への突撃等、活躍し勝利。
   敵侵攻軍を撃退。
    


105年11月
 陝城の戦いにおいて、汝南_張軍と対戦。
  左翼騎を担い、敵側面への攻撃等、奮戦するが、敗戦。
   汝南_張領侵攻作戦は失敗に終わり、撤退を余儀なくさせられる。
    自身は乱戦の中、少数の部下と共に戦場を離脱。
     


106年6月
 第2次櫟城の戦いにおいて、河上_廖軍と対戦。
  陣頭に立つ奮戦するが、敗戦。
   河上_廖領侵攻作戦は失敗に終わり、撤退を余儀なくさせられる。
    


106年8月
 臨晋城において病に伏せ逝去。
  享年 59歳。
   


好意を持つ武将

無し



好意を持たれている武将


鉅野_魯樹 現在 37歳 鉅野_魯国 公
  侵攻軍戦友
梓潼_韓純 現在 35歳 鉅野_魯国 上士
  
隴西_黄朝 現在 49歳 河上_廖国 士
  


敵視している武将


無し



敵視されている武将


新野_堪囘 現在 34歳 河上_廖国 卿
  
珠崖_魏雅 現在 49歳 河上_廖国 士
  
新野_堪儒 現在 18歳 河上_廖国 下大夫
  親の影響