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梓潼_韓純
思想 野心 人望 智力 武力 名声
36 31 89 69 39 51
人をのせるのが上手い。

経歴    現在 35歳 鉅野_魯国 上士

100年1月
 当時 23歳、廬江_甫爽矩に士として仕える。
  能力アピールでの昇進であったと言われる。
   


100年2月
 新野_堪囘卿の推薦により、文官の任に就くことが決まる。
  


100年3月
 新野_堪囘卿の指示によって、地元の支持を得るべく北地の地への赴任が決まる。
  


100年7月
 逃亡を続けていた罪人を捕縛するなど、一定の成果は上げ北地の地をあとにする。
  


100年12月
 新野_堪囘卿の指示によって、地元の支持を得るべく藍田の地への赴任が決まる。
  


101年5月
 才より努力を持って、住民支持向上の一定の成果は上げ藍田の地をあとにする。
  


101年7月
 新野_堪囘卿の指示によって、地元の支持を得るべく剣閣の地への赴任が決まる。
  


101年9月
 新たな人事編成により、文官の任を解かれ首都に帰還、
  前線の武官としての活躍を期待される。
   


101年11月
 廬江_甫爽頌下大夫指揮のもと漢中_輔国城攻略戦に参加。
  


101年11月
 度重なる強行突破の失敗で、多大な犠牲者を出し、
  城攻略は断念。
   兵を退く。
    


102年9月
 君主廬江_甫爽矩死亡。
  特に協力者もいなかったため、悩んだ末、武キ_懸潘胤に従うことを決める。
   


104年5月
 臨晋の戦いにおいて、漢中_輔軍と対戦。
  後衛を担い、敵側面への攻撃等、活躍し勝利。
   侵攻作戦は成功。
    漢中_輔領臨晋を制圧。
     


104年8月
 汝南_張盤下大夫率いる漢中_輔軍からの、
  予想外の兵力による侵攻に際し、野戦をあきらめ、国境である臨晋城に立て籠もる。
   


104年8月
 度重なる漢中_輔軍の猛攻から 臨晋城を守り抜き、
  ついに撤退に追い込む。
   


104年8月
 臨晋城において、そのまま国境の守備にあたるよう命じられる。


105年1月
 第2次函谷関の戦いにおいて、城包囲に突破口を開くべく漢中_輔軍と対戦。
  右翼騎を担い、勝利。
   敵侵攻軍を撃退。
    


105年2月
 高密の戦いにおいて、城包囲に突破口を開くべく陳留_盂軍と対戦。
  左翼騎を担い、敵側面への攻撃等、活躍し勝利。
   敵侵攻軍を撃退。
    


105年3月
 漢中_輔基公率いる漢中_輔軍からの、予想外の兵力による侵攻に際し、
  野戦をあきらめ、国境である臨晋城に立て籠もる。
   


105年3月
 度重なる漢中_輔軍の猛攻から 臨晋城を守り抜き、
  ついに撤退に追い込む。
   


105年3月
 臨晋城において、そのまま国境の守備にあたるよう命じられる。


105年9月
 第2次臨晋の戦いにおいて、漢中_輔軍と対戦。
  右翼を担い、敵本隊への突撃等、活躍し勝利。
   敵侵攻軍を撃退。
    


105年10月
 櫟城の戦いにおいて、河上_廖軍と対戦。
  


106年2月
 汝南_張国城攻略戦に着手。
  


106年2月
 度重なる強行突破の失敗で、多大な犠牲者を出し、城攻略は断念。
  兵を退く。
   


106年6月
 鉅野_魯樹中大夫指揮のもと汝南_張国韓原城攻略戦に参加。
  


106年10月
 少梁の戦いにおいて、汝南_張軍と対戦。
  右翼を担い奮戦するが、敗戦。
   汝南_張領侵攻作戦は失敗に終わり、撤退を余儀なくさせられる。
    


106年11月
 義陽_魏統士率いる汝南_張軍からの、
  予想外の兵力による侵攻に際し、野戦をあきらめ、国境である臨晋城に立て籠もる。
   


106年11月
 度重なる汝南_張軍の猛攻から 臨晋城を守り抜き、
  ついに撤退に追い込む。
   


106年11月
 臨晋城において、そのまま国境の守備にあたるよう命じられる。


107年5月
 鉅鹿_梁岳中大夫率いる河上_廖軍からの、
  予想外の兵力による侵攻に際し、野戦をあきらめ、国境である臨晋城に立て籠もる。
   


107年5月
 度重なる河上_廖軍の猛攻から 臨晋城を守り抜き、
  ついに撤退に追い込む。
   


107年5月
 臨晋城において、そのまま国境の守備にあたるよう命じられる。


107年8月
 第4次函谷関の戦いにおいて、城包囲に突破口を開くべく河上_廖軍と対戦。
  右翼を担い、いくつかの敵部隊を粉砕し活躍、勝利。
   敵侵攻軍を撃退。
    功績により上士に昇進。
     


108年1月
 息子の梓潼_韓憲が元服し武キ_懸潘軍士を拝命。
  


108年2月
 淮陽_陰參卿率いる河上_廖軍からの、
  予想外の兵力による侵攻に際し、野戦をあきらめ、国境である臨晋城に立て籠もる。
   


108年2月
 度重なる河上_廖軍の猛攻から 臨晋城を守り抜き、
  ついに撤退に追い込む。
   


108年2月
 臨晋城において、そのまま国境の守備にあたるよう命じられる。


108年11月
 東安_雙眞士率いる河上_廖軍からの、
  予想外の兵力による侵攻に際し、野戦をあきらめ、国境である臨晋城に立て籠もる。
   


108年11月
 度重なる河上_廖軍の猛攻から 臨晋城を守り抜き、
  ついに撤退に追い込む。
   


108年11月
 臨晋城において、そのまま国境の守備にあたるよう命じられる。


108年12月
 第5次函谷関の戦いにおいて、城包囲に突破口を開くべく河上_廖軍と対戦。
  左翼騎を担い奮戦するが、大軍を活かせず、まさかの敗戦。
   


109年5月
 河上_廖延卿指揮のもと廣陵_張国城攻略戦に参加。
  


109年5月
 度重なる強行突破の失敗で、多大な犠牲者を出し、城攻略は断念。
  兵を退く。
   


109年5月
 国内の中山_學舎に今後とも協力して関係にあたることを誓う。
  


109年8月
 国内の南郡_夏父混に今後とも協力関係を築いていくことを納得させる。
  


110年3月
 敵侵攻によって孤立した臨晋の地において、
  暫定自治を始めた鉅野_魯樹中大夫に従うことになる。
   


110年9月
 鉅野_魯樹公の推薦により、文官の任に就くことが決まる。
  


110年11月
 新たな人事編成により、文官の任を解かれ、前線の武官としての活躍を期待される。
  


111年1月
 第2次虞城の戦いにおいて、廣陵_張軍と対戦。
  右翼を担い、戦力差で優る敵に、みごと勝利。
   侵攻作戦は成功。
    廣陵_張領虞城を制圧。
     


111年2月
 濟北_范超士指揮の廣陵_張軍に臨晋城を包囲される。
  


111年2月
 度重なる廣陵_張軍の猛攻から 臨晋城を守り抜き、
  ついに撤退に追い込む。
   


好意を持つ武将

長沙_常恭 享年 28歳 < 78〜 105 >
  国内の友情
千乘_梓騰 享年 29歳 < 77〜 105 >
  国内同世代の友情
梓潼_韓憲 現在 19歳 鉅野_魯国 士
  国内の友情


好意を持たれている武将


鉅野_魯樹 現在 37歳 鉅野_魯国 公
  迎撃軍戦友
梓潼_韓憲 現在 19歳 鉅野_魯国 士
  同派閥の好意
武キ_懸潘弘 現在 20歳 鉅野_魯国 中大夫
  


敵視している武将


隴西_嗇晏 現在 21歳 河上_廖国 上士
  
丹陽_馬芝 現在 39歳 在野
  
天水_榮虞 現在 49歳 廣陵_張国 士
  


敵視されている武将


東莞_劉劭 現在 62歳 廣陵_張国 下大夫
  迎撃軍敗戦による敵意 敵将
廣陵_張咸 現在 45歳 廣陵_張国 公
  迎撃軍敗戦による敵意 君主から敵将
濟南_許韜 現在 37歳 廣陵_張国 中大夫