150年3月 地元の推薦もあり、襄安の地で鬱林_雍門国、 邑宰に 50歳で就任。
152年9月 敵侵攻によって孤立した昌陽の地において、 暫定自治を始めた鬱林_雍門贇卿に従うことになる。
154年9月 君主死亡。 特に従う人物も無く、放浪を始める。
155年11月 在野にて、諸国を彷徨っていた後、安豐_宋軍に仕官する。 彼が 55歳の時であった。
156年5月 聊城東の攻防戦において、西河_ケ軍と対戦。 右翼を担い奮戦するが、敗戦。 自身は乱戦の中、少数の部下と共に戦場を離脱。
156年5月 九眞_滕叔起卿指揮の西河_ケ軍に聊城城を包囲される。
156年5月 西河_ケ軍の猛攻を防ぎきれず、聊城城は落城する。
156年5月 君主安豐_宋ェ死亡。 仕える国を無くし放浪する。
159年6月 汝陰_鑢輔の支配する新陽の地を訪れる。 この地の知者との話などから代郡_丁軍の人物関係をそれとなく理解する。
159年7月 趙郡_王光の支配する臨平の地を訪れる。 酒場でのやりとりなどから鬱林_雍門軍の人物関係をそれとなく理解する。
159年8月 鬱林_雍門嵩の支配する到城の地を訪れる。 酒場でのやりとりなどから廣漢_包軍の人物関係をそれとなく理解する。
159年9月 廣漢_包度の支配する乘氏の地を訪れる。 住民との会話などから中山_學軍の人物関係をそれとなく理解する。
159年10月 會稽_干光の支配する歴陽の地を訪れる。 たまたま意気投合した人物との話から齊郡_盆成軍の人物関係をそれとなく理解する。
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