150年12月 濟南_茅夷奉の嫡子として元服し濟南_茅夷軍卿を拝命。
151年12月 樂望の戦いにおいて、安平_張軍と対戦。 陣頭に立つ、一時は敵の退路を絶つなど奮戦するが、敗戦。 樂望地区は放棄、撤退を余儀なくさせられる。
152年3月 第2次離狐の戦いにおいて、安平_張軍と対戦。 父に随軍する形で右翼を担い、一時は敵の退路を絶つなど奮戦するが、 敗戦。 自身は乱戦の中、少数の部下と共に戦場を離脱。
152年3月 安平_張班卿指揮の安平_張軍に離狐城を包囲される。
152年3月 安平_張軍の猛攻を防ぎきれず、離狐城は落城する。
152年3月 君主死亡。 仕える国を無くし放浪する。
155年4月 代郡_韓休の支配する安悳の地を訪れる。 酒場でのやりとりなどから鬱林_雍門軍の人物関係をそれとなく理解する。
155年5月 敦煌_田榮の支配する蒲吾の地を訪れる。 泊まった宿の主人の話などから義陽_苑軍の人物関係をそれとなく理解する。
155年6月 在野にて、諸国を彷徨っていた後、代郡_丁軍に仕官する。 彼が 20歳の時であった。
155年6月 代郡_丁楷公の推薦により、文官の任に就くことが決まる。
155年6月 公代郡_丁楷に今後の忠誠を誓う。
155年7月 代郡_丁楷公の指示によって、地元の支持を得るべく華望の地への赴任が決まる。
155年8月 新たな人事編成により、文官の任を解かれ首都に帰還、 前線の武官としての活躍を期待される。
155年10月 後の世まで、その名声を轟かせることになる戦いがおこる...
155年10月 臨平の戦いにおいて、代郡_韓軍と対戦。 陣頭に立つ、敵の退路を絶つ等、活躍し、勝利。
155年10月 代郡_丁楷公指揮のもと代郡_韓国山キ城攻略戦に参加。
155年11月 山キ城を包囲戦の末、陥落させる。
156年2月 代郡_丁擧下大夫指揮のもと代郡_韓国梁期城攻略戦に参加。
156年2月 城内への強行突入に成功、梁期城を陥落させる。
156年12月 第2次臨平の戦いにおいて、中山_學軍と対戦。 前衛騎を担い、敵の退路を絶つ等、活躍し、勝利。 敵侵攻軍を撃退。 自身は乱戦の中、戦死。 享年 22歳。
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