経歴
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160年2月 督陽_子師夷吾の嫡子として元服し督陽_子師軍卿を拝命。
163年7月 後の世まで、その名声を轟かせることになる戦いがおこる...
163年7月 番陽北の攻防戦において、居巣_軍と対戦。 父に随軍する形で参謀として全軍を指揮する、いくつかの敵部隊を粉砕し活躍、 勝利。 敵侵攻軍を撃退。
167年8月 後の世まで、その名声を轟かせることになる戦いがおこる...
167年8月 六東の戦いにおいて、京茲_婁軍と対戦。 陣頭に立つ、敵の退路を絶つ等、活躍し、勝利。 敵侵攻軍を撃退。
167年11月 六東の戦いにおいて、京茲_婁軍と対戦。 陣頭に立つ奮戦するが、敗戦。 六地区は放棄、撤退を余儀なくさせられる。
169年2月 六南の攻防戦において、京茲_婁軍と対戦。 父に随軍する形で参謀として全軍を指揮する奮戦するが、敗戦。 京茲_婁領侵攻作戦は失敗に終わり、撤退を余儀なくさせられる。
169年12月 予章北の攻防戦において、杞_左軍と対戦。 陣頭に立つ、敵本隊への突撃等、活躍し勝利。 敵侵攻軍を撃退。
171年2月 父である督陽_子師夷吾公指揮のもと杞_左国西陵城攻略戦に参加。
171年2月 城内への強行突入に成功、西陵城を陥落させる。
173年8月 六南の戦いにおいて、京茲_婁軍と対戦。 父に随軍する形で右翼騎を担い奮戦するが、敗戦。 京茲_婁領侵攻作戦は失敗に終わり、撤退を余儀なくさせられる。
175年5月 息子の督陽_子師儒が元服し督陽_子師軍上大夫を拝命。
181年10月 穀_滕食其上大夫指揮の京茲_婁朝歴陽帝国軍に六城を包囲される。
181年10月 京茲_婁朝歴陽帝国軍は自軍の側背を考慮し撤退、 六城は安泰を得る。
182年1月 国内の且于_畢杼に今後とも協力関係を築いていくことを納得させる。
183年6月 六北の戦いにおいて、広武_騎軍と対戦。 陣頭に立つ奮戦するが、敗戦。
183年8月 現在は次期後継者として有望な長男督陽_子師耕を擁立する時期と見る。
183年10月 六北の攻防戦において、広武_騎軍と対戦。 陣頭に立つ、いくつかの敵部隊を粉砕し活躍、勝利。 敵侵攻軍を撃退。
184年2月 六北の攻防戦において、広武_騎軍と対戦。 陣頭に立つ、敵本隊への突撃等、活躍し勝利。 敵侵攻軍を撃退。
184年10月 桐丘_牛循卿指揮の広武_騎軍に六城を包囲される。
184年10月 広武_騎軍は自軍の側背を考慮し撤退、六城は安泰を得る。
185年5月 六平原の戦いにおいて、広武_騎軍と対戦。 陣頭に立つ、敵の退路を絶つ等、活躍し、勝利。 敵侵攻軍を撃退。
186年2月 沮陽_王時卿指揮の広武_騎軍に六城を包囲される。
186年2月 広武_騎軍は自軍の側背を考慮し撤退、六城は安泰を得る。
186年9月 六北の攻防戦において、広武_騎軍と対戦。 陣頭に立つ、敵側面への攻撃等、活躍し勝利。 敵侵攻軍を撃退。
187年2月 六北の攻防戦において、広武_騎軍と対戦。 陣頭に立つ奮戦するが、敗戦。
187年2月 槐里_狐考卿指揮の広武_騎軍に六城を包囲される。
187年5月 公督陽_子師夷吾に今後の忠誠を誓う。
187年6月 広武_騎国に拠点六を制圧されるが、からくも脱出に成功。 再起にかける。
187年7月 番陽北の攻防戦において、広武_騎軍と対戦。 父に随軍する形で左翼を担い、勝利。 敵侵攻軍を撃退。
188年3月 予章北の攻防戦において、広武_騎軍と対戦。 陣頭に立つ、敵本隊への突撃等、活躍し勝利。 敵侵攻軍を撃退。
188年3月 番陽川の攻防戦において、広武_騎軍と対戦。 父に随軍する形で左翼を担い、勝利。 敵侵攻軍を撃退。
188年4月 君主督陽_子師夷吾逝去。 後継者として国を司る。 この時44歳。
188年4月 配下の督陽_子師乘の忠誠を得る。
188年6月 番陽川の攻防戦において、広武_騎軍と対戦。 陣頭に立つ、敵側面への攻撃等、活躍し勝利。 敵侵攻軍を撃退。
188年10月 予章西の攻防戦において、広武_騎軍と対戦。 陣頭に立つ、敵本隊への突撃等、活躍し勝利。 敵侵攻軍を撃退。
188年12月 番陽北の攻防戦において、広武_騎軍と対戦。 陣頭に立つ、いくつかの敵部隊を粉砕し活躍、勝利。 敵侵攻軍を撃退。
189年7月 番陽北の攻防戦において、広武_騎軍と対戦。 陣頭に立つ奮戦するが、敗戦。
189年7月 広武_騎慮卿指揮の広武_騎軍に番陽城を包囲される。
189年10月 広武_騎軍は自軍の側背を考慮し撤退、番陽城は安泰を得る。
189年11月 番陽川の攻防戦において、広武_騎軍と対戦。 陣頭に立つ、いくつかの敵部隊を粉砕し活躍、戦力差で優る敵に、みごと勝利。 敵侵攻軍を撃退。 この勝利により広武_騎国に講和を結ばせることに成功。
190年3月 番陽川の攻防戦において、広武_騎軍と対戦。 陣頭に立つ、勝利。 敵侵攻軍を撃退。
190年6月 番陽北の戦いにおいて、広武_騎軍と対戦。 陣頭に立つ奮戦するが、敗戦。
190年6月 白馗卿指揮の広武_騎軍に番陽城を包囲される。
190年6月 督陽_子師欽を養子に迎える。
190年9月 広武_騎軍は自軍の側背を考慮し撤退、番陽城は安泰を得る。
190年11月 番陽川の攻防戦において、広武_騎軍と対戦。 陣頭に立つ、敵本隊への突撃等、活躍し勝利。 敵侵攻軍を撃退。 この勝利により広武_騎国に講和を結ばせることに成功。
192年3月 配下の督陽_子師欽の忠誠を得る。
192年4月 番陽北の戦いにおいて、広武_騎軍と対戦。 陣頭に立つ、敵本隊への突撃等、活躍し勝利。 敵侵攻軍を撃退。 この勝利により広武_騎国に講和を結ばせることに成功。
192年10月 番陽北の攻防戦において、広武_騎軍と対戦。 陣頭に立つ、一時は敵の退路を絶つなど奮戦するが、敗戦。
192年10月 沮陽_王時卿指揮の広武_騎軍に番陽城を包囲される。
192年10月 番陽城は包囲戦の末、陥落。
192年10月 広武_騎国に拠点番陽を制圧され、自らの命を絶った。 享年 48歳。
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