100年6月 地元の推薦もあり、薛の地で新城_公子国、 邑宰に 42歳で就任。
100年7月 公の命を受け、この地を訪れた南陽_具恭中大夫から公への忠誠の意を確認され、 賛同する。
100年10月 陳留_盂国、陳留_盂祕王の意思に賛同することを決意。
101年4月 陽楽の地に赴任。
103年10月 彭城_左史玄卿指揮の象郡_賀軍に臨鯔城を包囲される。
103年10月 度重なる象郡_賀軍の猛攻から 臨鯔城を守り抜き、 ついに撤退に追い込む。
104年4月 汝南_鄭援卿指揮の象郡_賀軍に臨鯔城を包囲される。
104年7月 度重なる象郡_賀軍の猛攻から 臨鯔城を守り抜き、 ついに撤退に追い込む。
105年3月 臨海_馬寓卿指揮の象郡_賀軍に臨鯔城を包囲される。
105年3月 象郡_賀軍の猛攻を防ぎきれず、臨鯔城は落城する。
105年3月 君主新城_公子貔死亡。 仕える国を無くし放浪する。
108年8月 河上_廖艷の支配する高奴の地を訪れる。 酒場でのやりとりなどから河上_廖軍の人物関係をそれとなく理解する。
108年9月 河上_廖艷の支配する南鄭の地を訪れる。 泊まった宿の主人の話などから廣陵_張軍の人物関係をそれとなく理解する。
108年10月 汝南_鄭援の支配する薊の地を訪れる。 泊まった宿の主人の話などから河上_廖軍の人物関係をそれとなく理解する。
108年11月 河上_廖艷の支配する呉の地を訪れる。 酒場でのやりとりなどから河上_廖軍の人物関係をそれとなく理解する。
108年12月 河上_廖艷の支配する彭城の地を訪れる。 知り合った一兵卒との会話から廣陵_張軍の人物関係をそれとなく理解する。
109年1月 河上_廖艷の支配する州の地を訪れる。 この地の知者との話などから汝南_鄭軍の人物関係をそれとなく理解する。
109年2月 在野にて、諸国を彷徨っていた後、河上_廖軍に仕官する。 彼が 52歳の時であった。
109年6月 隴西_季老混宰相の推薦により、文官の任に就くことが決まる。
109年7月 隴西_季老混宰相の指示によって、地元の支持を得るべく郢の地への赴任が決まる。
110年2月 住民支持向上のまずまずの成果は上げ、郢の地をあとにする。
110年4月 隴西_季老混宰相の指示によって、地元の支持を得るべく会稽の地への赴任が決まる。
110年5月 国内の東郡_尹粛に今後とも協力して関係にあたることを誓う。
110年11月 才より努力を持って、住民支持向上のまずまずの成果は上げ、 会稽の地をあとにする。
110年12月 配属先が決まり、武官として準備するよう通達される。
110年12月 剣閣の地を拠点とする、東郡_尹粛下大夫揮下の西部方面軍に配属。
111年2月 配属されていた剣閣の地の方面軍解散が決定。 首邑に戻る。
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