101年8月 動乱の時代に自分の力を試したく、義勇兵を募り挙兵。 廬江_甫爽矩の目に掛かり仕官。
101年8月 新野_堪囘卿の推薦により、文官の任に就くことが決まる。
101年10月 新野_堪囘卿の指示によって、地元の支持を得るべく剣閣の地への赴任が決まる。
101年10月 新たな人事編成により、文官の任を解かれ首都に帰還、 前線の武官としての活躍を期待される。
102年2月 河上_廖艷公率いる河上_廖軍からの、予想外の兵力による侵攻に際し、 野戦をあきらめ、国境である剣閣城に立て籠もる。
102年2月 度重なる河上_廖軍の猛攻から 剣閣城を守り抜き、 ついに撤退に追い込む。
102年2月 剣閣城において、そのまま国境の守備にあたるよう命じられる。
102年7月 陝城西の戦いにおいて、漢中_輔軍と対戦。 左翼騎を担い、勝利。 侵攻作戦は成功。 漢中_輔領陝城を制圧。
102年8月 広漢の戦いにおいて、河上_廖軍と対戦。 右翼騎を担い奮戦するが、敗戦。 河上_廖領侵攻作戦は失敗に終わり、撤退を余儀なくさせられる。 捕虜となり河上_廖軍士として登用される。
102年9月 広漢の地を拠点とする、遼東_楊翼中大夫揮下の西部方面軍に配属。
102年9月 河上_廖軍国ケ城攻略戦に着手。
103年2月 君主側近の者への賄賂等、出世工作が実り上士に昇進。
103年7月 鉅鹿_梁岳下大夫指揮のもと新野_堪国南鄭城攻略戦に参加。
103年7月 南鄭城を包囲戦の末、陥落させる。
103年8月 配属されていた広漢の地の方面軍解散が決定。 首邑に戻る。
103年8月 長沙の地を拠点とする、中山_學舎中大夫揮下の南東部方面軍に配属。
103年11月 配属されていた長沙の地の方面軍解散が決定。 首邑に戻る。
103年11月 予章の地を拠点とする、中山_學舎中大夫揮下の南東部方面軍に配属。
104年4月 上谷_滕晞下大夫指揮のもと陳留_盂国六城攻略戦に参加。
104年4月 度重なる強行突破の失敗で、多大な犠牲者を出し、六城攻略は断念。 兵を退く。
104年5月 国内の淮陽_陰參に今後とも協力して関係にあたることを誓う。
105年4月 敦煌_張驤上士指揮のもと漢中_輔国魯陽城攻略戦に参加。
105年4月 城内への強行突入に成功、魯陽城を陥落させる。
105年11月 陳留_盂国潁陽城攻略戦に着手。
106年3月 潁陽西の攻防戦において、陳留_盂軍と対戦。 陣頭に立つ奮戦するが、大軍を活かせず、まさかの敗戦。 陳留_盂領侵攻作戦は失敗に終わり、撤退を余儀なくさせられる。
106年6月 第2次櫟城の戦いにおいて、武キ_懸潘軍と対戦。 指示により伏兵部隊を担い、勝利。 敵侵攻軍を撃退。
107年3月 第2次洛陽の戦いにおいて、河上_廖軍援軍として汝南_張軍と対戦。 左翼を担い、戦力差で優る敵に、みごと勝利。 侵攻作戦は成功。 汝南_張領洛陽を制圧。
107年12月 第3次平陽の戦いにおいて、河上_廖軍援軍として南郡_將軍軍と対戦。 後衛を担い奮戦するが、敗戦。 南郡_將軍領侵攻作戦は失敗に終わり、撤退を余儀なくさせられる。
108年2月 配属されていた予章の地の方面軍解散が決定。 首邑に戻る。
108年3月 隴西_季老混宰相の推薦により、文官の任に就くことが決まる。
108年4月 隴西_季老混宰相の指示によって、地元の支持を得るべく曲阜の地への赴任が決まる。
108年11月 恒例の祭祀に招かれた際、宴のなか酩酊しきり不作法な振舞いなど反感を買い、 曲阜の地をあとにする。 このことに関し、新安_伊熊邑宰や関係者を買収。 隴西_季老混宰相の耳にまで届かなかったという。
108年12月 新たな人事編成により、文官の任を解かれ、前線の武官としての活躍を期待される。
109年5月 河上_廖延卿指揮のもと廣陵_張国絳城攻略戦に参加。
109年5月 度重なる強行突破の失敗で、多大な犠牲者を出し、絳城攻略は断念。 兵を退く。
109年6月 隴西_季老混宰相の推薦により、文官の任に就くことが決まる。
109年7月 隴西_季老混宰相の指示によって、地元の支持を得るべく隴西の地への赴任が決まる。
110年1月 国内の鉅鹿_梁岳に今後とも協力して関係にあたることを誓う。
110年2月 軽微な罪の罪人に重刑を科し、住民らの不安を高めるなど失政をし、 隴西の地をあとにする。 このことに関し、南平_卜原邑宰や関係者を買収。 隴西_季老混宰相の耳にまで届かなかったという。
110年3月 新たな人事編成により、文官の任を解かれ、前線の武官としての活躍を期待される。
110年5月 風洪卿指揮のもと廣陵_張国絳城攻略戦に参加。
110年5月 度重なる強行突破の失敗で、多大な犠牲者を出し、絳城攻略は断念。 兵を退く。
110年9月 城陽の地を拠点とする、風洪卿揮下の東部方面軍に配属。
111年1月 第3次高唐の戦いにおいて、臨海_馬軍と対戦。 左翼を担い、戦力差で優る敵に、みごと勝利。 敵侵攻軍を撃退。
|