100年1月 当時 46歳、巴郡_忌攸に士として仕える。 奸臣であったと言われる。
100年3月 南郡_鮭韜卿の推薦により、文官の任に就くことが決まる。
100年4月 南郡_鮭韜卿の指示によって、地元の支持を得るべく東來の地への赴任が決まる。
100年6月 東來の地が戦地になるとの事前連絡があり、 帰還が命ぜられる。
104年2月 陳留_盂祕の支配する呉の地を訪れる。 泊まった宿の主人の話などから陳留_盂軍の人物関係をそれとなく理解する。
104年3月 在野にて、諸国を彷徨っていた後、呉郡_董軍に仕官する。 彼が 51歳の時であった。
104年5月 桂陽_柏成繍卿の指示によって、地元の支持を得るべく聊城の地への赴任が決まる。
104年10月 才より努力を持って、住民支持向上のまずまずの成果は上げ、 聊城の地をあとにする。
104年10月 文官としての功績が評価され、上士に昇進。
104年10月 国内の五原_東里濤に今後とも協力関係を築いていくことを納得させる。
106年1月 国内の豫章_李敞に今後とも協力して関係にあたることを誓う。
106年6月 東平_張統上大夫指揮の南郡_將軍軍に上党城を包囲される。
106年6月 南郡_將軍軍の猛攻を防ぎきれず、上党城は落城する。
106年6月 君主死亡。 仕える国を無くし放浪する。
107年2月 河上_廖艷の支配するケの地を訪れる。 病で世話になった医者との話などから南郡_將軍軍の人物関係をそれとなく理解する。
107年3月 在野にて、諸国を彷徨っていた後、河上_廖軍に仕官する。 彼が 54歳の時であった。
107年4月 巫城において病に伏せ逝去。 享年 53歳。
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