100年1月 当時 28歳、南郡_將軍翹に下大夫として仕える。 能力アピールでの昇進であったと言われる。
100年3月 呉郡_董国襄国城攻略戦に着手。
100年3月 城内への強行突入に成功、襄国城を陥落させる。
100年7月 薊の戦いにおいて、新城_公子軍と対戦。 陣頭に立つ、敵本隊への突撃等、活躍し勝利。 侵攻作戦は成功。 新城_公子領薊を制圧。
100年9月 第2次鉅鹿の戦いにおいて、呉郡_董軍と対戦。 参謀として全軍を指揮する、一時は敵の退路を絶つなど奮戦するが、 敗戦。 鉅鹿地区は放棄、撤退を余儀なくさせられる。
101年1月 薊西の攻防戦において、漢中_棘軍と対戦。 陣頭に立つ、敵本隊への突撃等、奮戦するが、敗戦。 漢中_棘領侵攻作戦は失敗に終わり、撤退を余儀なくさせられる。
101年3月 第4次晋陽の戦いにおいて、漢中_輔軍と対戦。 右翼騎を担い、敵側面への攻撃等、活躍し勝利。 敵侵攻軍を撃退。
101年6月 彭城_左史玄下大夫率いる漢中_輔軍からの、 予想外の兵力による侵攻に際し、野戦をあきらめ、国境である太原城に立て籠もる。
101年6月 度重なる漢中_輔軍の猛攻から 太原城を守り抜き、 ついに撤退に追い込む。
101年6月 太原城において、そのまま国境の守備にあたるよう命じられる。
101年8月 襄国の戦いにおいて、城包囲に突破口を開くべく漢中_輔軍と対戦。 左翼騎を担い、敵本隊への突撃等、活躍し勝利。
101年12月 漢中_輔国平陽城攻略戦に着手。
102年9月 漢中_棘穰上大夫率いる象郡_賀軍からの、 予想外の兵力による侵攻に際し、野戦をあきらめ、国境である代城に立て籠もる。
102年9月 度重なる象郡_賀軍の猛攻から 代城を守り抜き、 ついに撤退に追い込む。
102年11月 長沙_似延年上士率いる象郡_賀軍からの、 予想外の兵力による侵攻に際し、野戦をあきらめ、国境である楼煩城に立て籠もる。
103年3月 駆けつけた援軍部隊が勝利し、象郡_賀軍は撤退。
103年3月 城において、そのまま国境の守備にあたるよう命じられる。
103年7月 象郡_賀国沮陽城攻略戦に着手。
103年7月 度重なる強行突破の失敗で、多大な犠牲者を出し、沮陽城攻略は断念。
104年4月 南郡_將軍翹公指揮のもと漢中_輔国野王城攻略戦に参加。
104年9月 彭城_左史玄卿率いる象郡_賀軍からの、 予想外の兵力による侵攻に際し、野戦をあきらめ、国境である代城に立て籠もる。
104年9月 度重なる象郡_賀軍の猛攻から 代城を守り抜き、 ついに撤退に追い込む。
104年9月 代城において、そのまま国境の守備にあたるよう命じられる。
105年3月 汝南_鄭援卿率いる象郡_賀軍からの、予想外の兵力による侵攻に際し、 野戦をあきらめ、国境である代城に立て籠もる。
105年3月 度重なる象郡_賀軍の猛攻から 代城を守り抜き、 ついに撤退に追い込む。
105年3月 代城において、そのまま国境の守備にあたるよう命じられる。
105年4月 代の地を拠点とする方面軍は新たに廣陵_張咸卿が司令官に。
105年6月 息子の東平_張乘が元服し南郡_將軍軍士を拝命。
105年7月 漢中_輔国絳城攻略戦に着手。
105年7月 度重なる強行突破の失敗で、多大な犠牲者を出し、絳城攻略は断念。 兵を退く。
105年11月 第3次沮陽の戦いにおいて、汝南_鄭軍と対戦。 陣頭に立つ、勝利。
106年2月 汝南_鄭国薊城攻略戦に着手。
106年2月 度重なる強行突破の失敗で、多大な犠牲者を出し、薊城攻略は断念。 兵を退く。
106年6月 第3次上党の戦いにおいて、呉郡_董軍と対戦。 陣頭に立つ、勝利。 侵攻作戦は成功。
106年6月 呉郡_董国上党城攻略戦に着手。
106年6月 城内への強行突入に成功、上党城を陥落させる。
106年12月 汝南_張国成皋城攻略戦に着手。
107年3月 上谷_滕晞卿率いる河上_廖軍からの、 予想外の兵力による侵攻に際し、野戦をあきらめ、国境である曲沃城に立て籠もる。
107年3月 度重なる河上_廖軍の猛攻から 曲沃城を守り抜き、 ついに撤退に追い込む。
107年6月 隴西_季老混宰相率いる河上_廖軍からの、 予想外の兵力による侵攻に際し、野戦をあきらめ、国境である邯鄲城に立て籠もる。
107年10月 駆けつけた援軍部隊が勝利し、河上_廖軍は撤退。
107年10月 城において、そのまま国境の守備にあたるよう命じられる。
107年12月 第3次平陽の戦いにおいて、河上_廖軍と対戦。 左翼を担い、敵側面への攻撃等、活躍し勝利。 敵侵攻軍を撃退。
107年12月 第4次上党の戦いにおいて、河上_廖軍と対戦。 陣頭に立つ、勝利。 敵侵攻軍を撃退。
108年1月 隴西_季老混宰相率いる河上_廖軍からの、 予想外の兵力による侵攻に際し、野戦をあきらめ、国境である邯鄲城に立て籠もる。
|