Admiral Data
"
鉅鹿_梁岳
思想 野心 人望 智力 武力 名声
21 27 23 78 62 69
運と家督で地位を築く。

経歴    享年 32歳 < 79〜 111 >

100年1月
 当時 21歳、河上_廖艷に上士として仕える。
  卿の人事であったと言われる。
   


100年6月
 第2次南鄭の戦いにおいて、廬江_甫爽軍と対戦。
  右翼を担い、勝利。
   敵侵攻軍を撃退。
    


100年9月
 第3次南鄭の戦いにおいて、廬江_甫爽軍と対戦。
  右翼を担い、敵本隊への突撃等、活躍し勝利。
   敵侵攻軍を撃退。
    功績により下大夫に昇進。
     


100年12月
 第4次南鄭の戦いにおいて、廬江_甫爽軍と対戦。
  前衛を担い、敵本隊への突撃等、奮戦するが、敗戦。
   南鄭地区は放棄、撤退を余儀なくさせられる。
    


101年6月
 武キ_懸潘胤下大夫率いる廬江_甫爽軍からの、
  予想外の兵力による侵攻に際し、野戦をあきらめ、国境である広漢城に立て籠もる。
   


101年8月
 度重なる廬江_甫爽軍の猛攻から 広漢城を守り抜き、
  ついに撤退に追い込む。
   


101年8月
 広漢城において、そのまま国境の守備にあたるよう命じられる。


102年8月
 広漢の戦いにおいて、廬江_甫爽軍と対戦。
  


103年1月
 新野_堪国剣閣城攻略戦に着手。
  


103年1月
 剣閣城を包囲戦の末、陥落させる。
  


103年7月
 新野_堪国南鄭城攻略戦に着手。
  


103年7月
 南鄭城を包囲戦の末、陥落させる。
  


103年8月
 配属されていた広漢の地の方面軍解散が決定。
  首邑に戻る。
   


105年3月
 中山_學舎中大夫指揮のもと東郡_尹国藍田城攻略戦に参加。
  


105年3月
 度重なる強行突破の失敗で、多大な犠牲者を出し、藍田城攻略は断念。
  兵を退く。
   


105年9月
 藍田西の攻防戦において、東郡_尹軍と対戦。
  陣頭に立つ、敵本隊への突撃等、奮戦するが、大軍を活かせず、まさかの敗戦。
   東郡_尹領侵攻作戦は失敗に終わり、撤退を余儀なくさせられる。
    


105年10月
 予章の地を拠点とする、遼東_楊翼上大夫揮下の南東部方面軍に配属。
  


105年11月
 陳留_盂国城攻略戦に着手。
  


106年4月
 舒西の攻防戦において、陳留_盂軍と対戦。
  陣頭に立つ、勝利。
   侵攻作戦は成功。
    陳留_盂領を制圧。
     功績により中大夫に昇進。
      


106年6月
 第2次櫟城の戦いにおいて、武キ_懸潘軍と対戦。
  


107年5月
 武キ_懸潘国臨晋城攻略戦に着手。
  


107年5月
 度重なる強行突破の失敗で、多大な犠牲者を出し、臨晋城攻略は断念。
  兵を退く。
   


107年12月
 第4次上党の戦いにおいて、河上_廖軍援軍として南郡_將軍軍と対戦。
  後衛を担い奮戦するが、敗戦。
   南郡_將軍領侵攻作戦は失敗に終わり、撤退を余儀なくさせられる。
    最後尾で殿を努める。
     


108年2月
 配属されていた予章の地の方面軍解散が決定。
  首邑に戻る。
   


108年2月
 河上_廖延卿指揮のもと南郡_將軍国濮陽城攻略戦に参加。
  


108年3月
 城内への強行突入に成功、濮陽城を陥落させる。
  


108年3月
 隴西_季老混宰相の推薦により、文官の任に就くことが決まる。
  


108年4月
 新たな人事編成により、文官の任を解かれ、前線の武官としての活躍を期待される。
  


108年8月
 隴西_季老混宰相指揮のもと武キ_懸潘国函谷関城攻略戦に参加。
  


108年12月
 第5次函谷関の戦いにおいて、武キ_懸潘軍と対戦。
  右翼を担い、戦力差で優る敵に、みごと勝利。
   侵攻作戦は成功。
    武キ_懸潘領函谷関を制圧。
     


108年12月
 隴西_季老混宰相指揮のもと武キ_懸潘国函谷関城攻略戦に参加。
  


109年2月
 函谷関城を包囲戦の末、陥落させる。
  


109年5月
 国内の南郡_夏父混に今後とも協力関係を築いていくことを納得させる。
  


109年6月
 隴西_季老混宰相の推薦により、文官の任に就くことが決まる。
  


109年7月
 隴西_季老混宰相の指示によって、地元の支持を得るべく高陽の地への赴任が決まる。
  


109年7月
 新たな人事編成により、文官の任を解かれ首都に帰還、
  前線の武官としての活躍を期待される。
   


109年8月
 隴西_季老混宰相の推薦により、文官の任に就くことが決まる。
  


109年9月
 隴西_季老混宰相の指示によって、地元の支持を得るべく黔中の地への赴任が決まる。
  


109年12月
 新たな人事編成により、文官の任を解かれ首都に帰還、
  前線の武官としての活躍を期待される。
   


110年1月
 国内の建寧_委賓に今後とも協力関係を築いていくことを納得させる。
  


110年4月
 廣平_梁伶卿指揮のもと廣陵_張国蒲陽城攻略戦に参加。
  


110年9月
 河上_廖延卿率いる河上_廖軍からの、
  予想外の兵力による侵攻に際し、野戦をあきらめ、国境である函谷関城に立て籠もる。
   


110年9月
 度重なる河上_廖軍の猛攻から 函谷関城を守り抜き、
  ついに撤退に追い込む。
   


110年9月
 函谷関城において、そのまま国境の守備にあたるよう命じられる。


110年10月
 函谷関の南西部方面軍を解任、首邑に戻る。
  


111年1月
 第2次虞城の戦いにおいて、鉅野_魯軍と対戦。
  右翼騎を担い、敵本隊への突撃等、奮戦するが、大軍を活かせず、まさかの敗戦。
   捕虜となり処刑。
    享年 32歳。
     


好意を持つ武将

無し



好意を持たれている武将


風洪 現在 34歳 河上_廖国 卿
  国内の友情
中山_學舎 現在 54歳 河上_廖国 卿
  侵攻軍戦友
勃海_譚囂 現在 32歳 河上_廖国 邑宰
  同派閥の好意


敵視している武将


無し



敵視されている武将


河東_司徒岐 現在 26歳 鉅野_魯国 中大夫
  国内の反目
廣平_梁伶 現在 36歳 河上_廖国 卿
  
新安_伊熊 現在 38歳 河上_廖国 邑宰