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廣平_梁伶
思想 野心 人望 智力 武力 名声
80 70 41 67 98 132
将として相応しい能力がある。常に前向きの姿勢で物事に取り組む。

経歴    現在 36歳 河上_廖国 卿

101年2月
 動乱の時代に自分の力を試したく、義勇兵を募り挙兵。
  漢中_輔基の目に掛かり仕官。
   


101年3月
 第4次晋陽の戦いにおいて、南郡_將軍軍と対戦。
  右翼を担い突撃により、敵将南郡_將軍孟卿を討ち取るなど、
   奮戦するが、敗戦。
    南郡_將軍領侵攻作戦は失敗に終わり、撤退を余儀なくさせられる。
     功績により上士に昇進。
      


101年6月
 彭城_左史玄下大夫指揮のもと南郡_將軍国太原城攻略戦に参加。
  


101年6月
 度重なる強行突破の失敗で、多大な犠牲者を出し、太原城攻略は断念。
  


101年9月
 漢中_輔基公指揮のもと南郡_將軍国襄国城攻略戦に参加。
  


101年9月
 度重なる強行突破の失敗で、多大な犠牲者を出し、襄国城攻略は断念。
  兵を退く。
   


101年11月
 廬江_甫爽頌下大夫率いる廬江_甫爽軍からの、
  予想外の兵力による侵攻に際し、野戦をあきらめ、国境である城に立て籠もる。
   


101年11月
 度重なる廬江_甫爽軍の猛攻から 城を守り抜き、
  ついに撤退に追い込む。
   


101年12月
 河東_徐達中大夫率いる南郡_將軍軍からの、
  予想外の兵力による侵攻に際し、野戦をあきらめ、国境である蒲陽城に立て籠もる。
   


101年12月
 度重なる南郡_將軍軍の猛攻から 蒲陽城を守り抜き、
  ついに撤退に追い込む。
   


101年12月
 蒲陽城において、そのまま国境の守備にあたるよう命じられる。


102年3月
 新興_西王愼上大夫率いる新城_公子軍からの、
  予想外の兵力による侵攻に際し、野戦をあきらめ、国境である城に立て籠もる。
   


102年3月
 敵侵攻によって孤立したの地において、
  暫定自治を始めた象郡_賀沛下大夫に従うことになる。
   


102年4月
 度重なる新城_公子軍の猛攻から 城を守り抜き、
  ついに撤退に追い込む。
   


102年5月
 象郡_賀沛公の推薦により、文官の任に就くことが決まる。
  


102年5月
 新たな人事編成により、文官の任を解かれ、前線の武官としての活躍を期待される。
  


102年7月
 第2次武城の戦いにおいて、新城_公子軍と対戦。
  左翼騎を担い突撃により、敵将膠東_呂幹下大夫を討ち取るなど、
   活躍し戦力差で優る敵に、みごと勝利。
    敵侵攻軍を撃退。
     功績により下大夫に昇進。
      


102年8月
 象郡_賀沛公の推薦により、文官の任に就くことが決まる。
  


102年8月
 新たな人事編成により、文官の任を解かれ、前線の武官としての活躍を期待される。
  


102年10月
 督亢の地を拠点とする、漢中_棘穰上大夫揮下の南西部方面軍に配属。
  


102年10月
 高唐の戦いにおいて、新城_公子軍と対戦。
  陣頭に立つ奮戦するが、敗戦。
   新城_公子領侵攻作戦は失敗に終わり、撤退を余儀なくさせられる。
    功績により中大夫に昇進。
     


103年1月
 南皮の戦いにおいて、新城_公子軍と対戦。
  陣頭に立つ、勝利。
   侵攻作戦は成功。
    新城_公子領南皮を制圧。
     


103年4月
 臨鯔の戦いにおいて、新城_公子軍と対戦。
  陣頭に立つ奮戦するが、敗戦。
   新城_公子領侵攻作戦は失敗に終わり、撤退を余儀なくさせられる。
    捕虜となり新城_公子軍士として登用される。
     


103年5月
 濮陽東の戦いにおいて、金城_浩軍と対戦。
  参謀として全軍を指揮する、敵本隊への突撃等、活躍し勝利。
   侵攻作戦は成功。
    金城_浩領濮陽を制圧。
     功績により上士に昇進。
      


103年5月
 淮陽_陰參上大夫指揮のもと金城_浩国濮陽城攻略戦に参加。
  


103年10月
 中山_學舎中大夫率いる河上_廖軍からの、
  予想外の兵力による侵攻に際し、野戦をあきらめ、国境である西陵城に立て籠もる。
   


103年10月
 河上_廖軍の猛攻を防ぎきれず、西陵城は落城する。
  


103年10月
 河上_廖国に西陵を制圧され降伏。
  捕虜となるも助命され河上_廖軍士を拝命。
   


104年4月
 上谷_滕晞下大夫指揮のもと陳留_盂国城攻略戦に参加。
  


104年4月
 度重なる強行突破の失敗で、多大な犠牲者を出し、城攻略は断念。
  


105年3月
 淮陽_陰參中大夫指揮のもと新野_堪国城攻略戦に参加。
  


105年3月
 度重なる強行突破の失敗で、多大な犠牲者を出し、城攻略は断念。
  兵を退く。
   


105年4月
 国内の安豐_子桑博に今後とも協力して関係にあたることを誓う。
  


105年6月
 第2次六の戦いにおいて、陳留_盂軍と対戦。
  右翼騎を担い、敵の退路を絶つ等、活躍し、勝利。
   侵攻作戦は成功。
    陳留_盂領を制圧。
     功績により上士に昇進。
      


105年9月
 第3次城陽の戦いにおいて、高密_廖叔軍と対戦。
  右翼騎を担い、敵側面への攻撃等、活躍し勝利。
   侵攻作戦は成功。
    高密_廖叔領城陽を制圧。
     功績により下大夫に昇進。
      


105年10月
 櫟城の戦いにおいて、武キ_懸潘軍と対戦。
  右翼騎を担い、勝利。
   敵侵攻軍を撃退。
    功績により中大夫に昇進。
     


105年10月
 隴西_季老混宰相の推薦により、文官の任に就くことが決まる。
  


105年12月
 隴西_季老混宰相の指示によって、地元の支持を得るべくの地への赴任が決まる。
  


105年12月
 新たな人事編成により、文官の任を解かれ首都に帰還、
  前線の武官としての活躍を期待される。
   


106年5月
 淮陽_陰參卿指揮のもと陳留_盂国寿春城攻略戦に参加。
  


106年5月
 城内への強行突入に成功、寿春城を陥落させる。
  


106年8月
 淮陽_陰參卿指揮のもと武キ_懸潘国函谷関城攻略戦に参加。
  


106年8月
 度重なる強行突破の失敗で、多大な犠牲者を出し、函谷関城攻略は断念。
  


107年2月
 淮陽_陰參卿指揮のもと汝南_張国陽擢城攻略戦に参加。
  


107年2月
 度重なる強行突破の失敗で、多大な犠牲者を出し、陽擢城攻略は断念。
  兵を退く。
   


107年3月
 第2次陝城の戦いにおいて、武キ_懸潘軍と対戦。
  参謀として全軍を指揮する、勝利。
   敵侵攻軍を撃退。
    功績により上大夫に昇進。
     


107年5月
 国内の趙郡_黄暢に今後とも協力関係を築いていくことを納得させる。
  


107年6月
 河上_廖延卿指揮のもと陳留_盂国新鄭城攻略戦に参加。
  


107年6月
 城内への強行突入に成功、新鄭城を陥落させる。
  


107年9月
 中山_學舎卿指揮のもと南郡_將軍国曲沃城攻略戦に参加。
  


107年9月
 度重なる強行突破の失敗で、多大な犠牲者を出し、曲沃城攻略は断念。
  兵を退く。
   


107年12月
 第2次絳の戦いにおいて、南郡_將軍軍と対戦。
  参謀として全軍を指揮する、敵の退路を絶つ等、活躍し、戦力差で優る敵に、みごと勝利。
   侵攻作戦は成功。
    南郡_將軍領を制圧。
     功績により卿に昇進。
      


108年1月
 息子の廣平_梁全が元服し河上_廖軍上大夫を拝命。
  


108年3月
 中山_學舎卿指揮のもと廣陵_張国曲沃城攻略戦に参加。
  


108年3月
 度重なる強行突破の失敗で、多大な犠牲者を出し、曲沃城攻略は断念。
  兵を退く。
   


108年6月
 汝南_鄭国城攻略戦に着手。
  


108年6月
 度重なる強行突破の失敗で、多大な犠牲者を出し、城攻略は断念。
  兵を退く。
   


109年1月
 廣陵_張国安邑城攻略戦に着手。
  


109年1月
 度重なる強行突破の失敗で、多大な犠牲者を出し、安邑城攻略は断念。
  兵を退く。
   


109年5月
 廣陵_張国韓原城攻略戦に着手。
  


109年5月
 度重なる強行突破の失敗で、多大な犠牲者を出し、韓原城攻略は断念。
  兵を退く。
   


109年11月
 廣陵_張国韓原城攻略戦に着手。
  


109年11月
 度重なる強行突破の失敗で、多大な犠牲者を出し、
  韓原城攻略は断念。
   兵を退く。
    


110年4月
 廣陵_張国蒲陽城攻略戦に着手。
  


110年8月
 第2次蒲陽の戦いにおいて、廣陵_張軍と対戦。
  陣頭に立つ奮戦するが、敗戦。
   廣陵_張領侵攻作戦は失敗に終わり、撤退を余儀なくさせられる。
    自身は乱戦の中、少数の部下と共に戦場を離脱。
     


111年1月
 廣陵_張混卿率いる廣陵_張軍からの、
  予想外の兵力による侵攻に際し、野戦をあきらめ、国境である陽擢城に立て籠もる。
   


111年1月
 度重なる廣陵_張軍の猛攻から 陽擢城を守り抜き、
  ついに撤退に追い込む。
   


111年1月
 陽擢城において、そのまま国境の守備にあたるよう命じられる。


111年2月
 陽擢の地を拠点とする方面軍に配属が決定。
  


好意を持つ武将

珠崖_棘厚 現在 18歳 河上_廖国 士
  
廣川_張招 現在 35歳 河上_廖国 士
  
風洪 現在 34歳 河上_廖国 卿
  侵攻軍戦友


好意を持たれている武将


河上_廖艷 現在 42歳 河上_廖国 公
  配下への愛着
珠崖_棘厚 現在 18歳 河上_廖国 士
  侵攻軍戦友
廣川_張招 現在 35歳 河上_廖国 士
  


敵視している武将


魯郡_ケ起 現在 32歳 河上_廖国 邑宰
  国内の反目
東海_薛甘 現在 55歳 廣陵_張国 邑宰
  国内の反目
象郡_賀沛 享年 72歳 < 34〜 105 >
  


敵視されている武将


淮陽_陰參 現在 45歳 河上_廖国 卿
  国内の反目
長沙_似延年 現在 61歳 河上_廖国 邑宰
  国内の反目
日南_王咨 現在 46歳 河上_廖国 士
  国内の反目