100年1月 当時 39歳、汝南_郭静に邑宰として仕える。 適材適所の配属であったと言われる。
100年10月 濮陽の地に赴任。
101年3月 漢中_輔国、漢中_輔基公の意思に賛同することを決意。
101年10月 新城_公子国、新城_公子貔公の意思に賛同することを決意。
101年11月 君主汝南_郭静死亡。 だが独立する力も無く、やむ終えなく金城_浩に従うことを決める。
101年12月 陳の地に赴任。
103年5月 淮陽_陰參上大夫指揮の新城_公子軍に濮陽城を包囲される。
103年8月 度重なる新城_公子軍の猛攻から 濮陽城を守り抜き、 ついに撤退に追い込む。
104年1月 君主死亡。 特に従う人物も無く、放浪を始める。
106年1月 陳留_盂祕の支配する会稽の地を訪れる。 泊まった宿の主人の話などから武キ_懸潘軍の人物関係をそれとなく理解する。
106年2月 彭城_左史玄の支配する陽楽の地を訪れる。 住民との会話などから河上_廖軍の人物関係をそれとなく理解する。
106年3月 泰山_張紀の支配する高奴の地を訪れる。 酒場でのやりとりなどから彭城_左史軍の人物関係をそれとなく理解する。
106年4月 呉郡_董輔の支配する邯鄲の地を訪れる。 泊まった宿の主人の話などから南郡_將軍軍の人物関係をそれとなく理解する。
106年5月 陳留_盂祕の支配する薛の地を訪れる。 住民との会話などから代郡_慶忌軍の人物関係をそれとなく理解する。
106年6月 汝南_張盤の支配する少梁の地を訪れる。 泊まった宿の主人の話などから呉郡_董軍の人物関係をそれとなく理解する。
106年7月 南郡_將軍翹の支配する平城の地を訪れる。 この地の知者との話などから鬱林_劉軍の人物関係をそれとなく理解する。
106年8月 在野にて、諸国を彷徨っていた後、薛郡_劉軍に仕官する。 彼が 45歳の時であった。
106年11月 歴陽の地に赴任。
108年1月 河上_廖国に歴陽を制圧され降伏。 捕虜となり処刑。 享年 47歳。
|