101年4月 地元の推薦もあり、六の地で汝南_郭国、 邑宰に 61歳で就任。
101年11月 君主汝南_郭静死亡。 だが独立する力も無く、やむ終えなく金城_浩に従うことを決める。
103年5月 淮陽_陰參上大夫指揮の新城_公子軍に濮陽城を包囲される。
103年8月 度重なる新城_公子軍の猛攻から 濮陽城を守り抜き、 ついに撤退に追い込む。
104年1月 君主死亡。 特に従う人物も無く、放浪を始める。
106年7月 南郡_將軍翹の支配する聊城の地を訪れる。 泊まった宿の主人の話などから南郡_將軍軍の人物関係をそれとなく理解する。
106年8月 在野にて、諸国を彷徨っていた後、東郡_尹軍に仕官する。 彼が 66歳の時であった。
106年9月 東郡_尹熙卿の推薦により、文官の任に就くことが決まる。
106年11月 新たな人事編成により、文官の任を解かれ、前線の武官としての活躍を期待される。
107年3月 無事、領土を守り、河上_廖艷公に合流。
107年5月 寿春の地に赴任。
107年11月 寿春城において病に伏せ逝去。 享年 68歳。
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