経歴 享年 19歳 < 130〜 148 >
|
145年8月 江夏_頓武の嫡子として元服し江夏_頓軍上士を拝命。
146年2月 春穀の戦いにおいて、東郡_郭軍と対戦。 左翼騎を担い、敵側面への攻撃等、活躍し戦力差で優る敵に、みごと勝利。 敵侵攻軍を撃退。
146年2月 江夏_頓武公の推薦により、文官の任に就くことが決まる。
146年3月 江夏_頓武公の指示によって、地元の支持を得るべく平臺の地への赴任が決まる。
146年5月 新たな人事編成により、文官の任を解かれ、前線の武官としての活躍を期待される。
146年9月 武功川の戦いにおいて、宕渠_雍軍と対戦。 左翼騎を担い、敵本隊への突撃等、活躍し勝利。 侵攻作戦は成功。 宕渠_雍領武功を制圧。
146年9月 北地_苗皚上大夫指揮のもと宕渠_雍国武功城攻略戦に参加。
146年9月 城内への強行突入に成功、武功城を陥落させる。
147年2月 父である江夏_頓武公指揮のもと梁郡_格国楡次城攻略戦に参加。
147年2月 度重なる強行突破の失敗で、多大な犠牲者を出し、楡次城攻略は断念。 兵を退く。
147年8月 南海_李茂上士指揮のもと梁郡_格国楡次城攻略戦に参加。
147年8月 度重なる強行突破の失敗で、多大な犠牲者を出し、楡次城攻略は断念。 兵を退く。
147年10月 祝其の戦いにおいて、東海_召軍と対戦。 参謀として全軍を指揮する、敵本隊への突撃等、奮戦するが、敗戦。 祝其地区は放棄、撤退を余儀なくさせられる。
148年2月 南海_李彰下大夫指揮のもと梁郡_格国楡次城攻略戦に参加。
148年2月 度重なる強行突破の失敗で、多大な犠牲者を出し、楡次城攻略は断念。 兵を退く。
148年4月 友人と一夜中、語り会う。
148年6月 第2次春穀の戦いにおいて、隴西_樊軍と対戦。 父に随軍する形で右翼を担い、一時は敵の退路を絶つなど奮戦するが、 敗戦。 隴西_樊領侵攻作戦は失敗に終わり、撤退を余儀なくさせられる。 自身は乱戦の中、少数の部下と共に戦場を離脱。
148年7月 平棘の戦いにおいて、東陽_杜軍と対戦。 左翼を担い奮戦するが、敗戦。 平棘地区は放棄、撤退を余儀なくさせられる。 最後尾で殿を努める。
148年9月 楡次の戦いにおいて、隴西_樊軍と対戦。 参謀として全軍を指揮する、一時は敵の退路を絶つなど奮戦するが、 敗戦。 楡次地区は放棄、撤退を余儀なくさせられる。
148年9月 隨郡_王準士率いる隴西_樊軍からの、 予想外の兵力による侵攻に際し、野戦をあきらめ、国境である平臺城に立て籠もる。
148年9月 隴西_樊軍の猛攻を防ぎきれず、平臺城は落城する。
148年9月 隴西_樊国に拠点平臺を制圧され、自らの命を絶った。 享年 19歳。
|
|
好意を持つ武将
無し
好意を持たれている武将
無し
敵視している武将
無し
敵視されている武将
無し
|
|