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巴西_相里盤
思想 野心 人望 智力 武力 名声
-41 65 41 44 75 60
攻勢に強いが、一流とは言えない。出世には積極的である。

経歴    享年 21歳 < 132〜 152 >

147年5月
 東陽_杜鮑卿率いる東陽_杜軍からの、
  予想外の兵力による侵攻に際し、野戦をあきらめ、国境である高陽城に立て籠もる。
   


147年5月
 度重なる東陽_杜軍の猛攻から 高陽城を守り抜き、
  ついに撤退に追い込む。
   


147年5月
 高陽城において、そのまま国境の守備にあたるよう命じられる。


147年8月
 高陽の南東部方面軍を解任、首邑に戻る。
  


147年8月
 河間_樂獲上大夫指揮の東陽_杜軍に吾豐城を包囲される。
  


147年12月
 後の世まで、その名声を轟かせることになる戦いがおこる...


148年1月
 汲郡_不弟宇宰相率いる東陽_杜軍からの、
  予想外の兵力による侵攻に際し、野戦をあきらめ、国境である高陽城に立て籠もる。
   


148年1月
 度重なる東陽_杜軍の猛攻から 高陽城を守り抜き、
  ついに撤退に追い込む。
   


148年1月
 高陽城において、そのまま国境の守備にあたるよう命じられる。


148年1月
 敵侵攻によって孤立した高陽の地において、
  暫定自治を始めた南陽_呂支中大夫に従うことになる。
   


148年4月
 合流先を失い、以後、南陽_呂支公に従う。
  


149年7月
 高陽の戦いにおいて、東陽_杜軍と対戦。
  左翼を担い、敵の退路を絶つ等、活躍し、勝利。
   敵侵攻軍を撃退。
    


149年10月
 第2次高陽の戦いにおいて、東陽_杜軍と対戦。
  左翼を担い、いくつかの敵部隊を粉砕し活躍、勝利。
   敵侵攻軍を撃退。
    


150年1月
 東陽_杜鮑卿指揮の東陽_杜軍に高陽城を包囲される。
  


150年1月
 度重なる東陽_杜軍の猛攻から 高陽城を守り抜き、
  ついに撤退に追い込む。
   


150年7月
 宣城_扶袤下大夫指揮の東陽_杜軍に高陽城を包囲される。
  


150年7月
 度重なる東陽_杜軍の猛攻から 高陽城を守り抜き、
  ついに撤退に追い込む。
   


151年1月
 汲郡_不弟宇宰相指揮の東陽_杜軍に高陽城を包囲される。
  


151年1月
 度重なる東陽_杜軍の猛攻から 高陽城を守り抜き、
  ついに撤退に追い込む。
   


151年7月
 第3次高陽の戦いにおいて、東陽_杜軍と対戦。
  左翼を担い、敵本隊への突撃等、奮戦するが、敗戦。
   


151年7月
 東陽_杜鮑卿指揮の東陽_杜軍に高陽城を包囲される。
  


151年11月
 第4次高陽の戦いにおいて、城包囲に突破口を開くべく東陽_杜軍と対戦。
  右翼を担い、敵本隊への突撃等、奮戦するが、敗戦。
   自身は乱戦の中、少数の部下と共に戦場を離脱。
    


151年11月
 君主南陽_呂支死亡。
  仕える国を無くし放浪する。
   


152年5月
 在野にて、諸国を彷徨っていた後、東陽_杜軍に仕官する。
  彼が 20歳の時であった。
   


152年5月
 蒲吾の地を拠点とする、東陽_杜鮑卿揮下の東部方面軍に配属。
  


152年7月
 第2次高成の戦いにおいて、代郡_韓軍と対戦。
  右翼を担い、一時は敵の退路を絶つなど奮戦するが、敗戦。
   代郡_韓領侵攻作戦は失敗に終わり、撤退を余儀なくさせられる。
    捕虜となり処刑。
     享年 21歳。
      


好意を持つ武将

無し



好意を持たれている武将


無し



敵視している武将


無し



敵視されている武将


東陽_杜勝 現在 49歳 東陽_杜国 公
  侵攻軍敗戦による敵意 君主から敵将