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漢中_棘牧
思想 野心 人望 智力 武力 名声
57 60 92 25 32 76
持ち前の明るさで人を引き付ける魅力にあふれる。

経歴    現在 43歳 彭城_左史国 中大夫

100年12月
 漢中_棘穰の養子に迎えられ漢中_棘軍下大夫を拝命。
  


101年1月
 後の世まで、その名声を轟かせることになる戦いがおこる...


101年1月
 薊西の攻防戦において、南郡_將軍軍と対戦。
  父に随軍する形で左翼を担い、敵の退路を絶つ等、活躍し、勝利。
   敵侵攻軍を撃退。
    


101年4月
 後の世まで、その名声を轟かせることになる戦いがおこる...


102年1月
 南郡_將軍翹公率いる南郡_將軍軍からの、
  予想外の兵力による侵攻に際し、野戦をあきらめ、国境である沮陽城に立て籠もる。
   


102年1月
 息子の漢中_棘秀が元服し漢中_輔軍士を拝命。
  


102年2月
 度重なる南郡_將軍軍の猛攻から 沮陽城を守り抜き、
  ついに撤退に追い込む。
   


102年3月
 陳郡_陰覧上士率いる南郡_將軍軍からの、
  予想外の兵力による侵攻に際し、野戦をあきらめ、国境である鉅鹿城に立て籠もる。
   


102年3月
 度重なる南郡_將軍軍の猛攻から 鉅鹿城を守り抜き、
  ついに撤退に追い込む。
   


102年3月
 鉅鹿城において、そのまま国境の守備にあたるよう命じられる。


102年3月
 敵侵攻によって孤立した督亢の地において、
  暫定自治を始めた漢中_棘穰上大夫に従うことになる。
   


102年4月
 同じ暫定自治を行っていた、象郡_賀沛公に合流する。
  


102年6月
 鉅鹿の南部方面軍を解任、首邑に戻る。
  


102年7月
 沮陽の地を拠点とする、彭城_左史玄中大夫揮下の北西部方面軍に配属。
  


102年8月
 東垣の戦いにおいて、南郡_將軍軍と対戦。
  左翼を担い、敵の退路を絶つ等、活躍し、戦力差で優る敵に、みごと勝利。
   侵攻作戦は成功。
    南郡_將軍領東垣を制圧。
     功績により上士に昇進。
      


102年9月
 汝南_鄭統中大夫指揮のもと南郡_將軍国襄国城攻略戦に参加。
  


102年12月
 度重なる強行突破の失敗で、多大な犠牲者を出し、
  襄国城攻略は断念。
   兵を退く。
    


103年7月
 南郡_將軍翹公率いる南郡_將軍軍からの、
  予想外の兵力による侵攻に際し、野戦をあきらめ、国境である東垣城に立て籠もる。
   


103年7月
 度重なる南郡_將軍軍の猛攻から 東垣城を守り抜き、
  ついに撤退に追い込む。
   


103年7月
 東垣城において、そのまま国境の守備にあたるよう命じられる。


103年10月
 彭城_左史玄卿指揮のもと新城_公子国臨鯔城攻略戦に参加。
  


103年10月
 度重なる強行突破の失敗で、多大な犠牲者を出し、
  臨鯔城攻略は断念。
   兵を退く。
    


104年4月
 邯鄲の戦いにおいて、呉郡_董軍と対戦。
  父に随軍する形で右翼を担い奮戦するが、大軍を活かせず、まさかの敗戦。
   呉郡_董領侵攻作戦は失敗に終わり、撤退を余儀なくさせられる。
    


104年7月
 国内の彭城_左史玄に今後とも協力して関係にあたることを誓う。
  


105年5月
 第2次邯鄲の戦いにおいて、呉郡_董軍と対戦。
  陣頭に立つ、いくつかの敵部隊を粉砕し奮戦するが、敗戦。
   呉郡_董領侵攻作戦は失敗に終わり、撤退を余儀なくさせられる。
    功績により中大夫に昇進。
     


105年7月
 君主象郡_賀特死亡。
  以後国内の協力者であった彭城_左史玄の旗揚げに従う。
   


105年7月
 彭城_左史玄公の推薦により、文官の任に就くことが決まる。
  


105年8月
 彭城_左史玄公の指示によって、国の柱となる人材を収集するべく督亢の地への赴任が決まる。
  


105年8月
 新たな人事編成により、文官の任を解かれ首都に帰還、
  前線の武官としての活躍を期待される。
   


107年1月
 現在は次期後継者として有望な長男彭城_左史褒を擁立する時期と見る。
  


108年5月
 上谷_滕晞卿指揮の河上_廖軍に南皮城を包囲される。
  


108年5月
 度重なる河上_廖軍の猛攻から 南皮城を守り抜き、
  ついに撤退に追い込む。
   


109年4月
 廣平_梁全上大夫指揮の河上_廖軍に南皮城を包囲される。
  


109年4月
 度重なる河上_廖軍の猛攻から 南皮城を守り抜き、
  ついに撤退に追い込む。
   


109年4月
 彭城_左史褒公の推薦により、文官の任に就くことが決まる。
  


109年4月
 新たな人事編成により、文官の任を解かれ、前線の武官としての活躍を期待される。
  


109年5月
 彭城_左史褒公の推薦により、文官の任に就くことが決まる。
  


109年5月
 新たな人事編成により、文官の任を解かれ、前線の武官としての活躍を期待される。
  


110年1月
 上谷_滕晞卿指揮の河上_廖軍に南皮城を包囲される。
  


110年1月
 度重なる河上_廖軍の猛攻から 南皮城を守り抜き、
  ついに撤退に追い込む。
   


110年7月
 中山_學舎卿指揮の河上_廖軍に南皮城を包囲される。
  


110年7月
 度重なる河上_廖軍の猛攻から 南皮城を守り抜き、
  ついに撤退に追い込む。
   


好意を持つ武将

彭城_左史褒 現在 47歳 彭城_左史国 公
  君主、方面軍への忠誠
臨海_馬寓 享年 51歳 < 60〜 110 >
  国内の友情
汝南_鄭援 現在 48歳 汝南_鄭国 公
  国内の友情


好意を持たれている武将


彭城_左史褒 現在 47歳 彭城_左史国 公
  配下への愛着
汝南_鄭援 現在 48歳 汝南_鄭国 公
  
廣平_梁伶 現在 36歳 河上_廖国 卿
  


敵視している武将


桂陽_柏成繍 現在 36歳 河上_廖国 中大夫
  侵攻軍敗戦による敵意 敵参謀
豫章_李敞 享年 39歳 < 72〜 110 >
  侵攻軍敗戦による敵意 敵将
五原_東里濤 享年 34歳 < 77〜 110 >
  


敵視されている武将


廣陵_張咸 現在 45歳 廣陵_張国 公