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義陽_魏統
思想 野心 人望 智力 武力 名声
49 90 75 45 73 82
攻勢に強いが、一流とは言えない。出世には積極的である。

経歴    享年 30歳 < 77〜 107 >

100年1月
 当時 23歳、巴郡_忌攸に下大夫として仕える。
  奸臣であったと言われる。
   


100年3月
 東來の戦いにおいて、新城_公子軍と対戦。
  左翼を担い、勝利。
   侵攻作戦は成功。
    新城_公子領東來を制圧。
     


100年6月
 第2次東來の戦いにおいて、新城_公子軍と対戦。
  右翼を担い、敵本隊への突撃等、奮戦するが、敗戦。
   東來地区は放棄、撤退を余儀なくさせられる。
    


100年8月
 昌国の戦いにおいて、新城_公子軍と対戦。
  左翼を担い、敵側面への攻撃等、活躍し勝利。
   敵侵攻軍を撃退。
    


100年11月
 第2次昌国の戦いにおいて、新城_公子軍と対戦。
  後衛を担い、勝利。
   敵侵攻軍を撃退。
    功績により中大夫に昇進。
     


101年3月
 第3次昌国の戦いにおいて、新城_公子軍と対戦。
  右翼騎を担い、敵側面への攻撃等、奮戦するが、敗戦。
   


101年4月
 君主死亡によって野に下る。
  そのころ、大規模に将兵の徴募を募っていた漢中_棘穰に仕官する。
   士を拝命。
    


105年9月
 君主漢中_輔基死亡。
  特に協力者もいなかったため、悩んだ末、汝南_張盤に従うことを決める。
   


105年12月
 虞城の地に赴任。
  


106年2月
 武キ_懸潘胤公率いる武キ_懸潘軍からの、
  予想外の兵力による侵攻に際し、野戦をあきらめ、国境である城に立て籠もる。
   


106年2月
 度重なる武キ_懸潘軍の猛攻から 城を守り抜き、
  ついに撤退に追い込む。
   


106年2月
 城において、そのまま国境の守備にあたるよう命じられる。


106年6月
 鉅野_魯樹中大夫率いる武キ_懸潘軍からの、
  予想外の兵力による侵攻に際し、野戦をあきらめ、国境である韓原城に立て籠もる。
   


106年10月
 駆けつけた援軍部隊が勝利し、武キ_懸潘軍は撤退。
  


106年10月
 城において、そのまま国境の守備にあたるよう命じられる。


106年11月
 武キ_懸潘国臨晋城攻略戦に着手。
  


106年12月
 東平_張統上大夫率いる南郡_將軍軍からの、
  予想外の兵力による侵攻に際し、野戦をあきらめ、国境である成皋城に立て籠もる。
   


106年12月
 度重なる南郡_將軍軍の猛攻から 成皋城を守り抜き、
  ついに撤退に追い込む。
   


106年12月
 成皋城において、そのまま国境の守備にあたるよう命じられる。


107年1月
 陽擢の戦いにおいて、城包囲に突破口を開くべく河上_廖軍と対戦。
  右翼騎を担い、敵側面への攻撃等、活躍し勝利。
   敵侵攻軍を撃退。
    功績により上士に昇進。
     


107年2月
 成皋の東部方面軍を解任、首邑に戻る。
  


107年2月
 淮陽_陰參卿率いる河上_廖軍からの、
  予想外の兵力による侵攻に際し、野戦をあきらめ、国境である陽擢城に立て籠もる。
   


107年2月
 度重なる河上_廖軍の猛攻から 陽擢城を守り抜き、
  ついに撤退に追い込む。
   


107年2月
 陽擢城において、そのまま国境の守備にあたるよう命じられる。


107年3月
 第2次洛陽の戦いにおいて、河上_廖軍と対戦。
  右翼騎を担い、一時は敵の退路を絶つなど奮戦するが、大軍を活かせず、まさかの敗戦。
   捕虜になるを良しとせず自害。
    享年 30歳。
     


好意を持つ武将

無し



好意を持たれている武将


珠崖_魏雅 現在 49歳 河上_廖国 士
  国内の友情
東海_楊茂 現在 42歳 河上_廖国 邑宰
  侵攻軍戦友
濟南_許韜 現在 37歳 廣陵_張国 中大夫
  迎撃軍戦友


敵視している武将


無し



敵視されている武将


淮陽_陰參 現在 45歳 河上_廖国 卿
  迎撃軍敗戦による敵意 敵将
新城_公子腆 現在 15歳 在野にて人脈を広げる
  
天水_革滔 現在 25歳 河上_廖国 士