106年3月 動乱の時代に自分の力を試したく、義勇兵を募り挙兵。 汝南_張盤の目に掛かり仕官。
106年6月 洛陽の戦いにおいて、河上_廖軍と対戦。 左翼騎を担い、敵側面への攻撃等、活躍し勝利。 敵侵攻軍を撃退。
106年9月 遼東_楊翼卿率いる河上_廖軍からの、 予想外の兵力による侵攻に際し、野戦をあきらめ、国境である陽擢城に立て籠もる。
107年1月 駆けつけた援軍部隊が勝利し、河上_廖軍は撤退。
107年1月 城において、そのまま国境の守備にあたるよう命じられる。
107年2月 淮陽_陰參卿率いる河上_廖軍からの、 予想外の兵力による侵攻に際し、野戦をあきらめ、国境である陽擢城に立て籠もる。
107年2月 度重なる河上_廖軍の猛攻から 陽擢城を守り抜き、 ついに撤退に追い込む。
107年2月 陽擢城において、そのまま国境の守備にあたるよう命じられる。
107年4月 陽擢の北東部方面軍を解任、首邑に戻る。
107年4月 北地の地を拠点とする、中山_學舎卿揮下の北部方面軍に配属。
107年5月 国内の蜀郡_斯忠に今後とも協力して関係にあたることを誓う。
107年11月 濮陽の戦いにおいて、南郡_將軍軍と対戦。 右翼騎を担い、敵側面への攻撃等、奮戦するが、大軍を活かせず、まさかの敗戦。 南郡_將軍領侵攻作戦は失敗に終わり、撤退を余儀なくさせられる。 自身は乱戦の中、少数の部下と共に戦場を離脱。
108年1月 第4次邯鄲の戦いにおいて、南郡_將軍軍と対戦。 左翼騎を担い、敵側面への攻撃等、活躍し勝利。 侵攻作戦は成功。 南郡_將軍領邯鄲を制圧。
108年1月 隴西_季老混宰相指揮のもと南郡_將軍国邯鄲城攻略戦に参加。
108年1月 邯鄲城を包囲戦の末、陥落させる。
108年11月 勃海_左乂士指揮のもと廣陵_張国絳城攻略戦に参加。
108年11月 度重なる強行突破の失敗で、多大な犠牲者を出し、 絳城攻略は断念。 兵を退く。
108年12月 国内の呉郡_郭敖に今後とも協力して関係にあたることを誓う。
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