100年2月 地元の推薦もあり、陝城の地で漢中_輔国、 邑宰に 40歳で就任。
100年2月 公の命を受け、この地を訪れた象郡_賀沛下大夫から公への忠誠の意を確認され、 賛同する。
101年11月 廬江_甫爽頌下大夫指揮の廬江_甫爽軍に陝城を包囲される。
101年11月 度重なる廬江_甫爽軍の猛攻から 陝城を守り抜き、 ついに撤退に追い込む。
105年9月 君主漢中_輔基死亡。 特に協力者もいなかったため、悩んだ末、汝南_張盤に従うことを決める。
106年9月 隴西_季老混宰相指揮の河上_廖軍に洛陽城を包囲される。
106年9月 度重なる河上_廖軍の猛攻から 洛陽城を守り抜き、 ついに撤退に追い込む。
107年3月 隴西_季老混宰相指揮の河上_廖軍に洛陽城を包囲される。
107年3月 河上_廖軍の猛攻を防ぎきれず、洛陽城は落城する。
107年3月 君主汝南_張盤死亡。 仕える国を無くし放浪する。
109年1月 河上_廖艷の支配する宜陽の地を訪れる。 たまたま意気投合した人物との話から河上_廖軍の人物関係をそれとなく理解する。
109年2月 河上_廖艷の支配する随の地を訪れる。 酒場でのやりとりなどから河上_廖軍の人物関係をそれとなく理解する。
109年3月 河上_廖艷の支配する建為の地を訪れる。 泊まった宿の主人の話などから河上_廖軍の人物関係をそれとなく理解する。
109年4月 河上_廖艷の支配する薛の地を訪れる。 泊まった宿の主人の話などから代郡_慶忌軍の人物関係をそれとなく理解する。
109年5月 臨海_馬寓の支配する鉅鹿の地を訪れる。 この地の知者との話などから河上_廖軍の人物関係をそれとなく理解する。
109年6月 在野にて、諸国を彷徨っていた後、河上_廖軍に仕官する。 彼が 49歳の時であった。
109年6月 隴西_季老混宰相の推薦により、文官の任に就くことが決まる。
109年7月 隴西_季老混宰相の指示によって、地元の支持を得るべく広陵の地への赴任が決まる。
109年8月 国内の六安_騅階と今後とも協力関係を築いていこうと誓う。
110年2月 住民支持向上の成果をかろうじて上げ、広陵の地をあとにする。
110年5月 隴西_季老混宰相の指示によって、地元の支持を得るべく郢の地への赴任が決まる。
110年9月 新たな人事編成により、文官の任を解かれ首都に帰還、 前線の武官としての活躍を期待される。
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