100年1月 当時 28歳、巴郡_忌攸に邑宰として仕える。 出世に無欲であったと言われる。
101年4月 君主死亡によって野に下る。 そのころ、大規模に将兵の徴募を募っていた漢中_棘穰に仕官する。 士を拝命。
105年9月 君主漢中_輔基死亡。 特に協力者もいなかったため、悩んだ末、汝南_張盤に従うことを決める。
106年9月 隴西_季老混宰相指揮の河上_廖軍に洛陽城を包囲される。
106年9月 度重なる河上_廖軍の猛攻から 洛陽城を守り抜き、 ついに撤退に追い込む。
107年3月 隴西_季老混宰相指揮の河上_廖軍に洛陽城を包囲される。
107年3月 河上_廖軍の猛攻を防ぎきれず、洛陽城は落城する。
107年3月 君主汝南_張盤死亡。 仕える国を無くし放浪する。
110年7月 河上_廖艷の支配する楼煩の地を訪れる。 酒場でのやりとりなどから河上_廖軍の人物関係をそれとなく理解する。
110年8月 河上_廖艷の支配する東海の地を訪れる。 知り合った一兵卒との会話から臨海_馬軍の人物関係をそれとなく理解する。
110年9月 代郡_慶忌招の支配する東來の地を訪れる。 酒場でのやりとりなどから代郡_慶忌軍の人物関係をそれとなく理解する。
110年10月 廣陵_張咸の支配する蒲陽の地を訪れる。 泊まった宿の主人の話などから河上_廖軍の人物関係をそれとなく理解する。
110年11月 河上_廖艷の支配する楼煩の地を訪れる。 子供たちの童謡などから河上_廖軍の人物関係をそれとなく理解する。
110年12月 河上_廖艷の支配する即墨の地を訪れる。 泊まった宿の主人の話などから河上_廖軍の人物関係をそれとなく理解する。
111年1月 在野にて、諸国を彷徨っていた後、河上_廖軍に仕官する。 彼が 40歳の時であった。
111年1月 城陽の地を拠点とする、風洪卿揮下の東部方面軍に配属。
111年1月 国内の安豐_子桑博に今後とも協力して関係にあたることを誓う。
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