100年1月 当時 33歳、呉郡_董竒に邑宰として仕える。 家督をついで優遇であったと言われる。
100年4月 南康_盧深下大夫指揮の漢中_輔軍に上党城を包囲される。
100年4月 度重なる漢中_輔軍の猛攻から 上党城を守り抜き、 ついに撤退に追い込む。
100年12月 汝南_鄭統中大夫指揮の漢中_輔軍に上党城を包囲される。
100年12月 度重なる漢中_輔軍の猛攻から 上党城を守り抜き、 ついに撤退に追い込む。
106年6月 東平_張統上大夫指揮の南郡_將軍軍に上党城を包囲される。
106年6月 南郡_將軍軍の猛攻を防ぎきれず、上党城は落城する。
106年6月 君主死亡。 仕える国を無くし放浪する。
109年11月 河上_廖艷の支配する朝歌の地を訪れる。 この地の知者との話などから河上_廖軍の人物関係をそれとなく理解する。
109年12月 河上_廖艷の支配する黔中の地を訪れる。 城に仕えるもののこぼれ話などから河上_廖軍の人物関係をそれとなく理解する。
110年1月 在野にて、諸国を彷徨っていた後、河上_廖軍に仕官する。 彼が 44歳の時であった。
110年5月 国内の濟北_大戊祥と今後とも協力関係を築いていこうと誓う。
111年1月 この月の人事で、河上_廖国、文官として処務にあたる任を司る。
111年2月 上谷_滕晞卿の指示によって、地元の支持を得るべく櫟城の地への赴任が決まる。
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