100年5月 汝南_鄭援の嫡子として元服し漢中_輔軍中大夫を拝命。
100年5月 国内の陳郡_朱祕に今後とも協力関係を築いていくことを納得させる。
100年9月 第2次晋陽の戦いにおいて、南郡_將軍軍と対戦。 陣頭に立つ、一時は敵の退路を絶つなど奮戦するが、敗戦。 南郡_將軍領侵攻作戦は失敗に終わり、撤退を余儀なくさせられる。
100年12月 後の世まで、その名声を轟かせることになる戦いがおこる...
100年12月 第2次上党の戦いにおいて、呉郡_董軍と対戦。 陣頭に立つ、勝利。
100年12月 呉郡_董国上党城攻略戦に着手。
100年12月 度重なる強行突破の失敗で、多大な犠牲者を出し、 上党城攻略は断念。 兵を退く。
101年1月 函谷関の戦いにおいて、廬江_甫爽軍と対戦。 父に随軍する形で参謀として全軍を指揮する奮戦するが、敗戦。
101年4月 南郡_將軍国襄国城攻略戦に着手。
101年8月 襄国の戦いにおいて、南郡_將軍軍と対戦。 陣頭に立つ奮戦するが、敗戦。 南郡_將軍領侵攻作戦は失敗に終わり、撤退を余儀なくさせられる。
101年11月 廬江_甫爽頌下大夫率いる廬江_甫爽軍からの、 予想外の兵力による侵攻に際し、野戦をあきらめ、国境である陝城に立て籠もる。
101年11月 度重なる廬江_甫爽軍の猛攻から 陝城を守り抜き、 ついに撤退に追い込む。
101年12月 河東_徐達中大夫率いる南郡_將軍軍からの、 予想外の兵力による侵攻に際し、野戦をあきらめ、国境である蒲陽城に立て籠もる。
101年12月 度重なる南郡_將軍軍の猛攻から 蒲陽城を守り抜き、 ついに撤退に追い込む。
102年2月 博陵_郭雅卿率いる南郡_將軍軍からの、 予想外の兵力による侵攻に際し、野戦をあきらめ、国境である督亢城に立て籠もる。
102年2月 度重なる南郡_將軍軍の猛攻から 督亢城を守り抜き、 ついに撤退に追い込む。
102年3月 陳郡_陰覧上士率いる南郡_將軍軍からの、 予想外の兵力による侵攻に際し、野戦をあきらめ、国境である鉅鹿城に立て籠もる。
102年3月 度重なる南郡_將軍軍の猛攻から 鉅鹿城を守り抜き、 ついに撤退に追い込む。
102年3月 鉅鹿城において、そのまま国境の守備にあたるよう命じられる。
102年3月 敵侵攻によって孤立した督亢の地において、 暫定自治を始めた漢中_棘穰上大夫に従うことになる。
102年3月 国内の呉郡_翰允に今後とも協力関係を築いていくことを納得させる。
102年4月 同じ暫定自治を行っていた、象郡_賀沛公に合流する。
102年8月 後の世まで、その名声を轟かせることになる戦いがおこる...
102年8月 東垣の戦いにおいて、南郡_將軍軍と対戦。 陣頭に立つ、戦力差で優る敵に、みごと勝利。
102年9月 南郡_將軍国襄国城攻略戦に着手。
102年12月 度重なる強行突破の失敗で、多大な犠牲者を出し、 襄国城攻略は断念。 兵を退く。
103年4月 第2次東垣の戦いにおいて、南郡_將軍軍と対戦。 前衛を担い、勝利。 敵侵攻軍を撃退。
103年6月 廣陵_張咸卿率いる南郡_將軍軍からの、 予想外の兵力による侵攻に際し、野戦をあきらめ、国境である鉅鹿城に立て籠もる。
103年6月 度重なる南郡_將軍軍の猛攻から 鉅鹿城を守り抜き、 ついに撤退に追い込む。
103年7月 東平_張統中大夫率いる南郡_將軍軍からの、 予想外の兵力による侵攻に際し、野戦をあきらめ、国境である沮陽城に立て籠もる。
103年7月 度重なる南郡_將軍軍の猛攻から 沮陽城を守り抜き、 ついに撤退に追い込む。
103年10月 新城_公子貔公率いる新城_公子軍からの、 予想外の兵力による侵攻に際し、野戦をあきらめ、国境である高唐城に立て籠もる。
103年10月 度重なる新城_公子軍の猛攻から 高唐城を守り抜き、 ついに撤退に追い込む。
103年10月 高唐城において、そのまま国境の守備にあたるよう命じられる。
104年9月 南郡_將軍国襄国城攻略戦に着手。
104年9月 度重なる強行突破の失敗で、多大な犠牲者を出し、襄国城攻略は断念。 兵を退く。
105年3月 第3次臨鯔の戦いにおいて、新城_公子軍と対戦。 右翼を担い、敵本隊への突撃等、活躍し勝利。 侵攻作戦は成功。 新城_公子領臨鯔を制圧。
105年3月 臨海_馬寓卿指揮のもと新城_公子国臨鯔城攻略戦に参加。
105年3月 城内への強行突入に成功、臨鯔城を陥落させる。
105年7月 第2次楼煩の戦いにおいて、南郡_將軍軍と対戦。 右翼を担い、敵側面への攻撃等、奮戦するが、大軍を活かせず、まさかの敗戦。 南郡_將軍領侵攻作戦は失敗に終わり、撤退を余儀なくさせられる。
105年7月 君主象郡_賀特死亡。 以後国内の協力者であった汝南_鄭援の旗揚げに従う。
105年7月 汝南_鄭援が首邑に戻るため、以後の臨鯔守備を任される。
105年11月 第3次沮陽の戦いにおいて、南郡_將軍軍と対戦。 前衛を担い、一時は敵の退路を絶つなど奮戦するが、敗戦。 捕虜になるを良しとせず自害。 享年 21歳。
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