Admiral Data
"
呉郡_翰允
思想 野心 人望 智力 武力 名声
91 22 8 22 48 39
運と家督で地位を築く。

経歴    享年 29歳 < 77〜 105 >

101年5月
 動乱の時代に自分の力を試したく、義勇兵を募り挙兵。
  漢中_輔基の目に掛かり仕官。
   


101年11月
 廬江_甫爽頌下大夫率いる廬江_甫爽軍からの、
  予想外の兵力による侵攻に際し、野戦をあきらめ、国境である城に立て籠もる。
   


101年11月
 度重なる廬江_甫爽軍の猛攻から 城を守り抜き、
  ついに撤退に追い込む。
   


101年11月
 城において、そのまま国境の守備にあたるよう命じられる。


101年12月
 陝城の南東部方面軍を解任、首邑に戻る。
  


102年2月
 博陵_郭雅卿率いる南郡_將軍軍からの、
  予想外の兵力による侵攻に際し、野戦をあきらめ、国境である督亢城に立て籠もる。
   


102年2月
 度重なる南郡_將軍軍の猛攻から 督亢城を守り抜き、
  ついに撤退に追い込む。
   


102年2月
 督亢城において、そのまま国境の守備にあたるよう命じられる。


102年3月
 敵侵攻によって孤立した督亢の地において、
  暫定自治を始めた漢中_棘穰上大夫に従うことになる。
   


102年3月
 漢中_棘穰公の推薦により、文官の任に就くことが決まる。
  


102年3月
 国内の汝南_鄭統に今後とも協力して関係にあたることを誓う。
  


102年4月
 同じ暫定自治を行っていた、象郡_賀沛公に合流する。
  


102年7月
 新たな人事編成により、文官の任を解かれ首都に帰還、
  前線の武官としての活躍を期待される。
   


102年8月
 象郡_賀沛公の推薦により、文官の任に就くことが決まる。
  


103年1月
 象郡_賀沛公の指示によって、地元の支持を得るべく東垣の地への赴任が決まる。
  


103年1月
 新たな人事編成により、文官の任を解かれ首都に帰還、
  前線の武官としての活躍を期待される。
   


103年4月
 象郡_賀沛公の推薦により、文官の任に就くことが決まる。
  


103年5月
 象郡_賀沛公の指示によって、地元の支持を得るべく武城の地への赴任が決まる。
  


103年7月
 新たな人事編成により、文官の任を解かれ首都に帰還、
  前線の武官としての活躍を期待される。
   


103年9月
 象郡_賀沛公の推薦により、文官の任に就くことが決まる。
  


103年10月
 象郡_賀沛公の指示によって、地元の支持を得るべく陽楽の地への赴任が決まる。
  


104年1月
 新たな人事編成により、文官の任を解かれ首都に帰還、
  前線の武官としての活躍を期待される。
   


104年4月
 第2次臨鯔の戦いにおいて、新城_公子軍と対戦。
  左翼を担い、勝利。
   侵攻作戦は成功。
    新城_公子領臨鯔を制圧。
     


104年4月
 汝南_鄭援卿指揮のもと新城_公子国臨鯔城攻略戦に参加。
  


104年7月
 度重なる強行突破の失敗で、多大な犠牲者を出し、臨鯔城攻略は断念。
  兵を退く。
   


105年3月
 第3次臨鯔の戦いにおいて、新城_公子軍と対戦。
  前衛を担い、敵の退路を絶つ等、活躍し、勝利。
   侵攻作戦は成功。
    新城_公子領臨鯔を制圧。
     


105年3月
 臨海_馬寓卿指揮のもと新城_公子国臨鯔城攻略戦に参加。
  


105年3月
 城内への強行突入に成功、臨鯔城を陥落させる。
  


105年7月
 君主象郡_賀特死亡。
  以後国内の協力者であった汝南_鄭援の旗揚げに従う。
   


105年9月
 臨鯔の地を拠点とする、汝南_鄭統中大夫揮下の南東部方面軍に配属。
  


105年11月
 第3次沮陽の戦いにおいて、南郡_將軍軍と対戦。
  陣頭に立つ奮戦するが、敗戦。
   捕虜となり処刑。
    享年 29歳。
     


好意を持つ武将

無し



好意を持たれている武将


合浦_董登 現在 56歳 臨海_馬国 卿
  侵攻軍戦友
汝南_鄭援 現在 48歳 汝南_鄭国 公
  
平原_粟泰 現在 25歳 代郡_慶忌国 士
  


敵視している武将


無し



敵視されている武将


長沙_似延年 現在 61歳 河上_廖国 邑宰
  国内の反目
漢中_棘穰 現在 63歳 代郡_慶忌国 卿
  国内の反目
廣陵_張咸 現在 45歳 廣陵_張国 公