103年12月 動乱の時代に自分の力を試したく、義勇兵を募り挙兵。 河上_廖艷の目に掛かり仕官。
104年2月 河上_廖軍国藍田城攻略戦に着手。
104年5月 予章の地を拠点とする、中山_學舎中大夫揮下の南東部方面軍に配属。
105年9月 藍田西の攻防戦において、河上_廖軍援軍として東郡_尹軍と対戦。 後衛を担い、敵本隊への突撃等、奮戦するが、大軍を活かせず、まさかの敗戦。 東郡_尹領侵攻作戦は失敗に終わり、撤退を余儀なくさせられる。
105年11月 予章の南東部方面軍を解任、首邑に戻る。
105年11月 建寧_委賓上士指揮のもと陳留_盂国潁陽城攻略戦に参加。
106年2月 城陽の地を拠点とする、風洪上大夫揮下の東部方面軍に配属。
106年3月 潁陽西の攻防戦において、陳留_盂軍と対戦。 左翼を担い奮戦するが、大軍を活かせず、まさかの敗戦。 陳留_盂領侵攻作戦は失敗に終わり、撤退を余儀なくさせられる。 最後尾で殿を努める。
106年4月 舒西の攻防戦において、陳留_盂軍と対戦。 右翼を担い、敵の退路を絶つ等、活躍し、勝利。 侵攻作戦は成功。 陳留_盂領舒を制圧。
106年5月 蜀郡_斯棘士指揮のもと河上_廖軍国陳城攻略戦に参加。
106年7月 東郡_尹国藍田城攻略戦に着手。
106年7月 度重なる強行突破の失敗で、多大な犠牲者を出し、藍田城攻略は断念。 兵を退く。
107年2月 淮陽_陰參卿指揮のもと汝南_張国陽擢城攻略戦に参加。
107年2月 度重なる強行突破の失敗で、多大な犠牲者を出し、陽擢城攻略は断念。 兵を退く。
107年4月 城陽の東部方面軍を解任、首邑に戻る。
107年4月 成皋の地を拠点とする、潁川_乾岳下大夫揮下の北東部方面軍に配属。
107年11月 国内の豫章_陳松と今後とも協力関係を築いていこうと誓う。
107年12月 第2次絳の戦いにおいて、南郡_將軍軍と対戦。 左翼を担い、戦力差で優る敵に、みごと勝利。 侵攻作戦は成功。 南郡_將軍領絳を制圧。
108年2月 上谷_滕晞卿指揮のもと武キ_懸潘国函谷関城攻略戦に参加。
108年2月 度重なる強行突破の失敗で、多大な犠牲者を出し、函谷関城攻略は断念。 兵を退く。
108年4月 国内の桂陽_柏成繍と今後とも協力関係を築いていこうと誓う。
108年11月 勃海_左乂士指揮のもと廣陵_張国絳城攻略戦に参加。
108年11月 度重なる強行突破の失敗で、多大な犠牲者を出し、 絳城攻略は断念。 兵を退く。
109年7月 成皋の北東部方面軍を解任、首邑に戻る。
109年8月 隴西_季老混宰相の推薦により、文官の任に就くことが決まる。
109年9月 隴西_季老混宰相の指示によって、地元の支持を得るべく炎卩の地への赴任が決まる。
110年3月 住民支持向上のそれなりの成果は上げ、炎卩の地をあとにする。
110年4月 国内の泰山_張紀に今後とも協力して関係にあたることを誓う。
110年5月 隴西_季老混宰相の指示によって、地元の支持を得るべく野王の地への赴任が決まる。
110年5月 野王の地で飢えに苦しむ人々や荒んだ状況を目の当たりにする。
110年6月 新たな人事編成により、文官の任を解かれ首都に帰還、 前線の武官としての活躍を期待される。
110年9月 朝歌の地を拠点とする、桂陽_柏成繍中大夫揮下の北東部方面軍に配属。
110年9月 河上_廖延卿指揮のもと廣陵_張国函谷関城攻略戦に参加。
110年9月 度重なる強行突破の失敗で、多大な犠牲者を出し、函谷関城攻略は断念。 兵を退く。
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