103年8月 臨海_馬寓の嫡子として元服し象郡_賀軍上士を拝命。
104年4月 邯鄲の戦いにおいて、呉郡_董軍と対戦。 右翼を担い、一時は敵の退路を絶つなど奮戦するが、大軍を活かせず、まさかの敗戦。 呉郡_董領侵攻作戦は失敗に終わり、撤退を余儀なくさせられる。
105年3月 汝南_鄭援卿指揮のもと南郡_將軍国代城攻略戦に参加。
105年3月 度重なる強行突破の失敗で、多大な犠牲者を出し、代城攻略は断念。 兵を退く。
105年7月 君主象郡_賀特死亡。 以後国内の協力者であった臨海_馬寓の旗揚げに従う。
106年7月 第3次鉅鹿の戦いにおいて、南郡_將軍軍と対戦。 父に随軍する形で右翼騎を担い、敵本隊への突撃等、活躍し勝利。 敵侵攻軍を撃退。
106年8月 臨海_馬寓公の推薦により、文官の任に就くことが決まる。
108年3月 新たな人事編成により、文官の任を解かれ、前線の武官としての活躍を期待される。
108年4月 隴西_季老混宰相指揮の河上_廖軍に鉅鹿城を包囲される。
108年4月 度重なる河上_廖軍の猛攻から 鉅鹿城を守り抜き、 ついに撤退に追い込む。
108年10月 国内の合浦_董登に今後とも協力して関係にあたることを誓う。
108年11月 淮陽_陰參卿指揮の河上_廖軍に鉅鹿城を包囲される。
108年11月 度重なる河上_廖軍の猛攻から 鉅鹿城を守り抜き、 ついに撤退に追い込む。
109年5月 中山_學舎卿指揮の河上_廖軍に鉅鹿城を包囲される。
109年5月 度重なる河上_廖軍の猛攻から 鉅鹿城を守り抜き、 ついに撤退に追い込む。
109年11月 新野_堪囘卿指揮の河上_廖軍に鉅鹿城を包囲される。
109年11月 度重なる河上_廖軍の猛攻から 鉅鹿城を守り抜き、 ついに撤退に追い込む。
110年5月 東郡_尹熙中大夫指揮の河上_廖軍に鉅鹿城を包囲される。
110年5月 度重なる河上_廖軍の猛攻から 鉅鹿城を守り抜き、 ついに撤退に追い込む。
110年11月 君主臨海_馬寓逝去。 後継者として国を司る。 この時23歳。
|