145年4月 地元の推薦もあり、吾豐の地で河内_李国、 邑宰に 36歳で就任。
145年8月 代郡_韓輔公指揮の代郡_韓軍に吾豐城を包囲される。
145年8月 度重なる代郡_韓軍の猛攻から 吾豐城を守り抜き、 ついに撤退に追い込む。
145年11月 吾豐の地に赴任。
145年11月 公の命を受け、この地を訪れた扶風_王湛卿から公への忠誠の意を確認され、 賛同する。
146年1月 吾豐の地に赴任。
146年4月 襄安の地に赴任。
146年10月 襄安で反旗を掲げ、叛乱軍の指導者となる。
147年2月 象郡_許如下大夫指揮の河内_李朝昌陽帝国軍に襄安城を包囲される。
147年6月 駆けつけた援軍部隊が勝利し、昌陽帝国軍は撤退。
147年6月 襄安東の攻防戦において、城包囲に突破口を開くべく河内_李軍と対戦。 陣頭に立つ、勝利。 敵侵攻軍を撃退。
147年11月 武陵_許顔上士指揮の河内_李朝昌陽帝国軍に襄安城を包囲される。
148年1月 息子の鴈門_叔孫戒が元服し鴈門_叔孫軍卿を拝命。
148年2月 度重なる河内_李朝昌陽帝国軍の猛攻から 襄安城を守り抜き、 ついに撤退に追い込む。
149年7月 後の世まで、その名声を轟かせることになる戦いがおこる...
149年7月 襄安の戦いにおいて、代郡_韓軍と対戦。 陣頭に立つ、いくつかの敵部隊を粉砕し活躍、勝利。 敵侵攻軍を撃退。
149年10月 第2次襄安の戦いにおいて、代郡_韓軍と対戦。 陣頭に立つ奮戦するが、敗戦。
149年10月 渭南_解國下大夫指揮の代郡_韓軍に襄安城を包囲される。
149年10月 度重なる代郡_韓軍の猛攻から 襄安城を守り抜き、 ついに撤退に追い込む。
149年11月 息子の鴈門_叔孫混が元服し鴈門_叔孫軍中大夫を拝命。
150年2月 地方叛乱軍指導者であった陳留_東關翩が同志となり戦力が増す。
150年2月 配下の陳留_東關翩の忠誠を得る。
150年3月 民を思う鬱林_雍門嵩の志しに触れ、手を結ぶ決断をする。
150年4月 鬱林_雍門国宰相の任に抜擢される。
150年4月 公鬱林_雍門嵩に今後の忠誠を誓う。
150年9月 東陽_杜国武城城攻略戦に着手。
151年1月 馮翊_陸徽上大夫率いる東陽_杜軍からの、 予想外の兵力による侵攻に際し、野戦をあきらめ、国境である安悳城に立て籠もる。
151年1月 東陽_杜軍の猛攻を防ぎきれず、安悳城は落城する。
151年1月 東陽_杜国に安悳を制圧され降伏。 捕虜となるも助命され東陽_杜軍上大夫を拝命。
151年1月 公東陽_杜勝に今後の忠誠を誓う。
151年10月 馮翊_陸徽上大夫指揮のもと代郡_韓国合肥城攻略戦に参加。
151年10月 度重なる強行突破の失敗で、多大な犠牲者を出し、 合肥城攻略は断念。 兵を退く。
152年6月 後の世まで、その名声を轟かせることになる戦いがおこる...
152年6月 第4次櫟陽の戦いにおいて、鬱林_雍門軍と対戦。 参謀として全軍を指揮する、敵本隊への突撃等、活躍し戦力差で優る敵に、みごと勝利。 侵攻作戦は成功。 鬱林_雍門領櫟陽を制圧。
152年8月 第5次城キの戦いにおいて、代郡_韓軍と対戦。 陣頭に立つ、敵本隊への突撃等、奮戦するが、敗戦。 城キ地区は放棄、撤退を余儀なくさせられる。
152年8月 宣城_扶袤宰相の推薦により、文官の任に就くことが決まる。
152年9月 新たな人事編成により、文官の任を解かれ、前線の武官としての活躍を期待される。
152年11月 武城の地を拠点とする北東部方面軍の総司令官に任命される。
152年12月 第5次櫟陽の戦いにおいて、齊郡_北宮軍と対戦。 参謀として全軍を指揮する、敵本隊への突撃等、活躍し勝利。 侵攻作戦は成功。 齊郡_北宮領櫟陽を制圧。
152年12月 東陽_杜鮑卿指揮のもと齊郡_北宮国櫟陽城攻略戦に参加。
152年12月 城内への強行突入に成功、櫟陽城を陥落させる。
153年8月 宣城_扶袤宰相指揮のもと代郡_韓国南皮城攻略戦に参加。
153年12月 代郡_韓周上士率いる代郡_韓軍からの、 予想外の兵力による侵攻に際し、野戦をあきらめ、国境である安悳城に立て籠もる。
154年4月 東陽_杜勝公指揮のもと始平_盤国粟邑城攻略戦に参加。
154年4月 度重なる強行突破の失敗で、多大な犠牲者を出し、粟邑城攻略は断念。 兵を退く。
154年8月 高柴平原の戦いにおいて、城包囲に突破口を開くべく代郡_韓軍と対戦。 左翼を担い、敵本隊への突撃等、活躍し勝利。 敵侵攻軍を撃退。 功績により卿に昇進。
154年10月 代郡_韓国に拠点安悳を制圧され、自らの命を絶った。 享年 46歳。
154年10月 安悳山の攻防戦において、東陽_杜軍援軍として代郡_韓軍と対戦。 後衛を担い、敵本隊への突撃等、奮戦するが、敗戦。 安悳地区は放棄、撤退を余儀なくさせられる。 自身は乱戦の中、少数の部下と共に戦場を離脱。
|