100年1月 当時 64歳、呉郡_董竒に邑宰として仕える。 主君の友人であったと言われる。
100年4月 南康_盧深下大夫指揮の漢中_輔軍に上党城を包囲される。
100年4月 度重なる漢中_輔軍の猛攻から 上党城を守り抜き、 ついに撤退に追い込む。
100年12月 汝南_鄭統中大夫指揮の漢中_輔軍に上党城を包囲される。
100年12月 度重なる漢中_輔軍の猛攻から 上党城を守り抜き、 ついに撤退に追い込む。
106年6月 東平_張統上大夫指揮の南郡_將軍軍に上党城を包囲される。
106年6月 南郡_將軍軍の猛攻を防ぎきれず、上党城は落城する。
106年6月 君主死亡。 仕える国を無くし放浪する。
109年5月 河上_廖艷の支配する州の地を訪れる。 知り合った一兵卒との会話から汝南_鄭軍の人物関係をそれとなく理解する。
109年6月 在野にて、諸国を彷徨っていた後、河上_廖軍に仕官する。 彼が 74歳の時であった。
109年6月 隴西_季老混宰相の推薦により、文官の任に就くことが決まる。
109年7月 隴西_季老混宰相の指示によって、地元の支持を得るべく東海の地への赴任が決まる。
109年11月 国内の廣平_田穆と今後とも協力関係を築いていこうと誓う。
110年1月 住民支持向上の成果をかろうじて上げ、東海の地をあとにする。
110年3月 隴西_季老混宰相の指示によって、地元の支持を得るべく隴西の地への赴任が決まる。
110年3月 国内の合浦_嬰顕に今後とも協力して関係にあたることを誓う。
110年8月 新たな人事編成により、文官の任を解かれ首都に帰還、 前線の武官としての活躍を期待される。
110年10月 賛同する合浦_嬰顕上士のはからいにより、 琅邪の地を拠点とする新野_堪囘卿揮下、 北東部方面軍に配属が決まる。
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